つげ義春展@調布(素晴らしかった!)を見て「リアリティ」の意味を知る | イラストで綴る日常

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こんにちは、イトウエルマです。

 

先日1月22日まで開催していた

「マンガ家・つげ義春と調布」展に行きました。

 

すごくよかった!

 

展示はつげさんが長らくお住まいの、調布を舞台にした作品が中心。

他にも代表作、「ねじ式」を始めとした原画などもありました。

(原画がまた、ものすごく充実していた!)

何より、つげさんのこれまでや名作が生まれた背景などを

つげさんの言葉や実際の風景と照らし合わせて丁寧に紐解いており、

とても見応えがありました。

(これが無料とは調布市は文化の発信に尽力されていますね。

もちろん、企画に賛同されたつげさんの地元愛や

ボランティアさんの頑張りがあってこの充実と思いますが、

地元の作家さんを大切にしたい気持ちも感じられた空間でした)

 

 

私がつげ作品に出会ったのは20代の頃。
(何年前かは聞かないでね 笑)
初めて勤めた会社を辞めるとき、
会社の方が愛読していた年季の入った文庫本
「ねじ式 異色傑作編 1」を下さった。

 

本を開いて驚いた!

巷にあふれるマンガにはないアートな気配漂うタッチや構図、

素っ頓狂でオチのないお話ながらも印象に残るストーリーの数々。

 

代表作の「ねじ式」は発表直後は反応が薄かったそうですが、

その後じわじわとマンガ界以外のあちこちからの高評価を得た。

(文化人からの支持多数。横尾忠則も大絶賛!!)

脈絡のない、つじつまの合わないお話なのですが、

つげさんのマンガらしからぬタッチと相まって生まれる

妙な迫力に私はすっかり魅入られた!

(「ねじ式」は夢を元に描いたそうです。なるほど、私も爆撃ヘリに追われて

操縦席の人間が見えるくらいに傍までせまられた夢を見た事がありますが

夢とはいえ、リアルに追いかけられたときの緊張はどんな映画にも適わないな、と思いました。

だから「ねじ式」の、冒頭の爆撃機があの場に必要だった理由も、ものすごく分かります)


この作品集には「ねじ式」を越える作品がいっぱいあります。

 

 

 

構図にハッとさせられた「初茸がり」

日本の田舎の温泉地の知られざる姿を伝える「オンドル小屋」

「長八の宿」を読んで西伊豆に憧れ旅を計画したことも。

(しかし長八の宿には泊まれず違う宿にしてしまったよ。いつか行ってみたい!!)

構図や語らないページで伝える絵の情報が巧みな作品「大場電機鍍金工業所」では

戦後の朝鮮戦争のあった時代の現実の空気が、リアルに伝わってきました。

 

有名な「ゲンセンカン主人」なども入ってます!

 

(以下が同じ内容が組み込まれた本です。ホントの傑作編。読んで損なし!)

 

まるで遠野物語のように読み手を捉えて話さない

つげ義春世界に惹かれた己は

古本屋さんで「異色傑作編 2」も発見しました。

こちらも素晴らしい!

(以下は同様の内容です。

タブレットだと文庫よりも

ずっと画面が大きくて読みやすいですね!)

 

 

 

その他「無能の人」を読んだかな。

(読んだのはこちらではないけれど、

無能の人は映画になっただけあって

スーパー代表作です)

 

(当時の己に無能の人はぴんと来ませんでした。

あの世界を理解するには人生経験が足りなかった!)

 

 

あとは随筆、「貧困旅行記」も面白かった!

 

旅スタイルも気分任せ。

東京近辺にふらっと出掛けては

つげさん好みの鄙びた宿に出会うまで歩き回る。

びっくりしたのは東京の住まいを捨てて

九州在住の会った事もない自分のファンを訪ねて

いきなりプロポーズをするお話。

つげさんには蒸発欲求があり、

それがリアルな行動に至る

心の動きを興味深く読みました。

 

貧困とありますが、貧しいお話ではない。

つげさんのお金の心配をしながら

精一杯楽しもうと知恵を絞る旅は

独自の価値観やこだわりが冴え渡り、

面白おかしくも、枯淡めいてくる不思議さ。

 

 

といった代表的な作品に触れた程度の

つげファンでしかなかった私は

これまで背景をよく知らず、
それを調べようともせずにいました。
 

ですが今回の調布での展示で

作品を通してのつげ義春さんの生き様や、

その他の作品に触れて、作品とつげさんが

強く結びついていた事を知った!

 

それで改めて、これまで読んで来たつげ作品や

それまで知らなかった作品に

どっぷり浸りまくっていたのが

ここのところの私なのでした。

 

で、表題の「リアリティ」です。

 

つげさんがこだわるリアリティを、

それまで漠然とながらも感じてはいたのです。

とんでもない展開に対して説明らしい説明がなくとも

筋を気にせず読めてしまったり、

知らない時代や土地の空気を感じられる理由は

そこにリアルがあるからだ、というのを分かってはいても

具体的には何がどうリアルなのか、どこにこだわるとそうなるのか、

ということには何の関心も払わずにいました。

 

この度色んな作品を読み、つげさんが思う

リアリティをはっきりと理解できた作品、それが

「リアリズムの宿」

 

(おおまかな筋)

青森県鯵ヶ沢に2軒ある商人宿の、人気のない方の

「リアリズム」すぎる宿に間違って入ってしまい、

出るに出られなくなって泊まる羽目になった顛末を描いたお話。

まずここに出て来る女将さんとご主人がまさに、それっぽい。

身なりは貧しいし、客商売の精神もない人達なのですが、

体躯はよく、元の目鼻立ちは悪くない、というのが

日本海沿いの東北だとありえそうだなあ、と思えた。

(ちなみに鯵ヶ沢は行った事があります。きちんとした商売をする

誠実な人達のいるお土地柄と思いましたよ。

彼等の人間性や仕事への姿勢について言いたいのではありません。

田舎なのに背が高くて目鼻立ちの整った人がいて、

そうした人が地味で身入りのよくなさそうなお仕事をしている

というのがこの地でありえそうだな、と。

ともかくも、こういう人たちを宿の人にしたところに、私は唸った。

 

それと、つげさんが「リアリズム」とはなんぞや、を

きっちりと言葉で説明されている。

この場合のリアリズムとは生活の臭い。

それが過ぎるのは好ましくない、というつげさんの言葉に

己はハッとしたのです。

 

「貧しげでみすぼらしい風物にはそれなりに親しみをおぼえる」

けれど「リアリズムにはあまり触れたくない」「心が痛む」

 

 

よく、「実家のおばあちゃんの家みたいで落ち着ける」

食堂や宿などありますが、あれは超片付いた状態だからこそ。

ホントの(片付かないまんまの)おばあちゃんの家で

寛ぐためにお金を払えるか、というと違うよね、

という境目をつげさんはこのお話で表している。

そして不満をただの文句にしないで「リアリズム」の定義を

世に示す素材として昇華させているのでした。

 

言葉と絵柄の両方で「リアリズム」を説明しているつげ作品は

それまで読んだことがなかったので、なるほど、と。

 


もうひとつ、非日常的な方の「リアリズム」のつげ好みを言葉にした、

多くの気づきをくれた作品がありました。

 

「近所の風景」

 

かつて住んでいた調布のアパートから見えたバラック群に通ったお話。

つげさんは梶井基次郎「檸檬」に感銘を受けたことを

この作品で語っています。

梶井「何故だかこのごろ私はみすぼらしくて美しいものに

強く惹き付けられたのを覚えている」云々

の言葉を抜粋し

「私は梶井のこの繊細な感覚が好きだ。

これは梶井の存在の不確かさに揺れ動く

不安な心をみごとに表している」

と言って、バラック群に「檸檬」の気分を味わっていらした。

そして、このバラック群が立ち退きで失われることに淋しさを覚え、

バラックに住む人たちに混じって抵抗運動に参加するのがお話の筋。

で、つげさんが力を入れて描くリアリティやリアリズムがどこにあるのかが

梶井基次郎「檸檬」と重ね合わせることでよりくっきりと見えた!

(それまで梶井の「檸檬」を読んでも、あー昔の人もB級骨董的なセンスがあったのねー、

位の感想しかありませんでした。しかしあの文章がつげさんやその他の人達に大いなるヒントを与えて

それを形にしたものを見せられているのが今の我々だったと気づいた。檸檬、読み直してみます)

 


ところで、つげ作品にリアル感が出て来るのは

登場人物が本人とかなりオーバーラップしているから。

そんなわけで作品の主人公を元に、勝手につげ義春像を妄想してみました。

 

主人公はマンガの内容によってキャラの雰囲気が変わります。

これがつげさんの多面性の一部を表しているのではないかと。

 


つげさん、女性にはあんまり困っている感じがない。
そしてマンガを読むと、

行けると思った相手には躊躇する事なくぐいぐい行く。(かなり強引!)

そこの見極めが女の自分から見ても的確と思えるのは、

そもそもがつげさん比較的モテ系

女性に拒絶されるタイプではなかったから

ではないかと。
背も高いし、若い時には割とイケメン
(息子さんも背が高くて年より若く見えるイケメン系)
そしてマンガ同様、ご本人も哲学者なのでしょうし。

でも、ダメ男の一面もあるのがつげさん。
色男に徹するには多少の努力(女性の求めることにある程度応える等)しないといけない。

自分のやりたいこと(マンガを描きたい欲求)が強くてモテ道を突き進むのも嫌。

(時にはマンガを描く気もなくなるが、それはそれでモチベーションが上がらない状態というだけ)

労せず手に入る(便利な)女性の範囲をきっちり見極めて(ヒモ男にもなれる)

マンガのために動ける己を確保しているグータラでもある。

 

 

つげさんが女性への見極め力を養ったのはおそらく幼少期。

猥雑な界隈にお住まいだったことがひとつ。

それとお母様の影響が大きいのかな。

(マンガから察するに)つげさんのお母様は

幼子を持つ母親の立場であっても己の中のリビドーを否定しない人だったので、

それを目の当たりにして育ったつげさんも早熟だったのかな、
女性の気分の変化に敏感だったのかな、と思いました。

 

女に溺れたり、自堕落に生きるだけではない、

常識的な部分もある。

それがつげさんの上品さでもあり、そういう気分が表れている作品には

読み手も安心できる主人公があてがわれています。

 

 

俗世とは無縁の主人公、

それが今のつげさんなのかもしれません。

割と奔放だったつげさんが男盛りなお歳で
仙人モードに入られた理由は
自分が子ども時代に味わったような気持ちを
子どもに味わわせたくない気持ちも大きいのでは。

(そう思いたい!)

 

 

 

 

 

といった具合に、つげさんのお話(ほぼ妄想)を始めると

止まらなくなる私です(汗)

さて、ひとりでつげ気分を味わうのに打ってつけなのは

昔風情溢れる立ちそば店。

昭和の空気を味わうに限ります!