描かなくなった理由……






自分の行動を分析するのって、かなり難しいし、たいてい間違った分析が多い…アタシの場合。


なんでだろって考えた時『都合よく解釈』してるコトに気付いた。


でもそれを超えて
どS的に自分を見てみたら本当の理由が見えた気がして、とりあえず自分の記録としてブログを活用しようと思ったわけ。


子供の頃から毎日毎日とにかく絵か字か……
なんでもいいからとにかく書いてた。
何度も賞をいただいた。出展依頼だって何度ももらった。

でも誇らしくはなかった記憶がある。




『なんでだ』
って考えたら
その時描きまくってたのは、描きたい絵じゃなくて、子供ながらに
『この絵を描かなきゃいけない』と縛りつけてたから。


本当に描きたい絵が描けるようになったのは
ここ2~3年。


でも
ここ数ヶ月
筆を持たなくなったのはなんでだろう……


何ヶ月か前
興味ある展示会があった………
考えてみたらそこに出展してからだなぁ、と。



出展理由は
ホンッとに偶然が偶然を呼んだ気がして、自分を初めて絵で試したくなったんだと思う。

某BARのopen記念に壁一面天井まで絵を描いた。

それを見た展示会の主催者がアタシに会いたいと言ったのがキッカケ。


展示会は『サイケデリックエクスタシー』
イカレタ学生やら名誉ある画家…そりゃもーテンデバラバラなメンツが勢揃い。


アタシは勝負してやろうって思った。
ダテに描いてないって…なんだかわかんないけど生まれてはじめての自信だった……

オマケに親友がお金を必要としてた。
一週間集中して描き上げて名前を売って、賞金もらって目の前にあるものを片付けようと思った。


一週間
無我夢中で4枚描き上げた。
それは
何も考えずに
自分のスタイルで
描きまくった絵。


その時点では
味わったことのない満足感。


友達に頼んで巨大扇風機で急激に乾燥させて会場に運んだ。


自信タップリのアタシは
親友に電話して
翌日お金届けるからってカッコよくキメた。


翌朝
展示会がはじまって
名前も聞いたことないアタシの絵の前には沢山のお客さんがいて、審査員もマジマジ見てた。


どーでもいいから
早く評価して欲しかった。


結果は
4枚のうちの1枚が
最優秀新人賞……


賞金ももらった。
親友にお金を渡すこともできた。


でも
一番自信があった絵には審査員の誰一人見向きもしなかった。
自分の刺青をバックに大切な人達の刺青とイニシャルが散らばる絵。

バキバキに折って捨ててやったわガーン


確かに
ただもんじゃない人達ばっかりだったけど

この世界じゃ
新人扱い
25年近く絵を描いてても新人扱い



展示会に出展したことを後悔した。
お金にたどり着きたい自分がいたんだなと思った。


自分が本気でお金に困った上での出展なら
自分に疑問をもって自分に後悔する。

でも、お金を用意してあげたかったアタシは
当たる場所がない。

本来の目的は達成出来たのに
まったく別の葛藤が生まれた。


まさしく
リスク&ベネフィット





結論は
自信と気力を失って
幻滅したって事


もう描きたくないガーン
ってこと。
徹夜した・・・汗
気分がノってる時の徹夜は作業がはかどりますあげあげ

でも・・・
やっぱり人間
脳がアッチコッチ行ったりもした汗


今日は
手を動かしながら
アタマである事を考えてた

今までブログに登場していないのが、自分でも信じられない汗



釈迦

アタシにとって
好きとか嫌いとかの枠には全く当てはまらない。


宗教ってなんだはてなマークとか
じゃぁ仏教って言ってる自分は仏教を語れるのかはてなマーク
とか考えてたら、『釈迦』に辿り着いて
それから、片っ端から本を読んだのがはじまり・・・

今日はそれを長々書いてみたりしようと思います。

めんどくさい方は

即スルーしましょう笑ニコ
今日のブログは、アタシの記憶を辿るだけだからつまんないはずです。


『釈迦の出発点』

釈迦はとにかくいつも、人間の世界の矛盾について考えてたらしい。
腰が曲がって、歯は抜けてボロボロ、しわしわの老人がよろよろと杖をついてやっとやっと歩いていくその姿を見て
釈迦は
「私もいつか年老いて、体力もなくなくなって苦しむのかな・・・・」
と苦悶したそうです。


別の日、伝染病で体はやつれ、生気もないような姿で苦しむ病人に出会う。
その病人の姿を見たお釈迦は、
「私もいつ病に襲われるか分からない・・・・」
と苦悶したそうです。


別の日、釈迦様は葬式の列に遭遇する。
釈迦は
「生あるものはいつか必ず死ぬ。私もいつか死に、あーやって見送られる時が来る。もしかしたらそれは明日かもしれない、それは身分とは関係なくみんな同じことだ・・・・」

「老」「病」「死」を目の当たりにしたお釈迦は、人間である以上避けては通ることのできない現実に苦悶する。


最後に釈迦は
1人の修行者と出会う。

この修行者を見てから自身も出家して「老」「病」「死」に直面してもゆるぎない幸福を求めたいと願うようになったらしい。


これがきっと『釈迦』の始まりだって勝手に解釈しています。




『老』・『病』・『死』について苦悶して、最後に修行者と出会い出家したいと強く願うようになったことを『四門出遊』ってゆーらしいんだけど、未だに何て読むのかわかりません笑


そして釈迦は結婚させられる・・・
こっからは、勝手なアタシの推測ですので、ご了承ください。

きっと、いいとこのオボッちゃまだった釈迦が、急に出家なんてことに興味を示したもんだから、お見合いかなんかだったんじゃないかなって思う。

何をやっても、誰を与えても、釈迦の出家の意思は揺らがなかったそうです。

改めて
「出家したい」という思いをお父さんの前で伝えた。


地位も名誉も財産もましてや才能も生まれもっているのに、すべてを投げ捨てて出家したいと言った。
普通その恵まれた環境からあえて修行の道を選ぶ人なんていないだろうし、釈迦の才能は次期王としてふさわしい人物だったそうだし。

お父さんは『何が不足でそんなことを言い出すんだ!望みなら何でも叶えてやる』と言ったそうです・・・。

それを聞いた
釈迦は
「3つの願いがございます。
決して老いない体になること
決して病にならない体になること
決して死なない体になること
これを叶えてくれるのであれば、出家はとどまります」
と答えた。

本では
ここで父は立ち去る・・・ってなってた。


自分ならなんだろうぉな。
3つの願いか・・・


人前で言えるほどカッコいい願いなんてそうそうないはず。

釈迦が生まれ持った素晴らしい人間なのかもしれない・・・
でも
古い古い時代だからこそ、他の欲求が当時の人間には備わってなかったのかもしれない・・・
本当に釈迦が特別だったのか・・・
  
時代がそうさせたんじゃないかと
ヒネクレた事を良く考えます・・・

いいんだか悪いんだか

素直ってなんなんだか

でも
何パーセントかは、時代が生んだ名誉ある人物だと解釈しています。

この揺るがない精神は見習いたいし、忘れちゃいけないとも日々思ています。





釈迦の悩み

釈迦は年を追うごとに悩みを深めていって、考え事をする時間が増えていったそうです。

ある日、ふと空を見上げると、虫を食べている小鳥を、更に強い鳥が襲っている光景を目の当たりにして衝撃を受けた。
まさしく弱肉強食です。

「こんな弱肉強食の世界は動物の世界だけだろうか?人間にも当てはまっているんじゃないか?」と。

それまで王族として地位も名誉も財産も、そして才能にも恵まれていた釈迦が自分の立場に疑問を感じた時なのかもしれません。

そして自分の周りの世界に疑問の目を向ける。


インドと言えば、厳しい身分制度がある。

身分が違えば、結婚することは勿論出来なければ、話をすることすら禁じられるほどの厳しい身分制度。

武士は市民に権力を振りかざし、市民は奴隷に権力を振りかざす。

弱肉強食の世界は動物の世界も人間の世界も同じこと。

釈迦はコレを考えてたんじゃないかな・・・って思う。

強者は幸せなのかなと考えてみたらしい。
地位や財産がなければないと苦しむけれど、だからといって、地位や財産があっても、それがいつ奪われてしまうんじゃないかと苦しむ。
どっちに転んでも苦しんでいて幸せではないと世の中の矛盾に釈迦は考え込んでいたのだそう。

釈迦自身が当時地位も、名誉も、財産も、才能さえあるというのに幸せだと感じなかったからこその考えだったんだと思う。
自身が幸せだと思っていれば、それに満足して考え事なんてしないはずだからなぁ~。




最後にこの言葉
「うらみをもってうらみを消すことあたわず」

釈迦の言葉・・・
最近やっと理解できてきた気がします。

「目には目を」の逆ですよね。

つまり
釈迦の教えは、人を幸せにすること。
これが宗教の意味なのかな・・・と最近考えます。

宗教で戦争を起こすことって超愚かなことじゃないかなって思っている今日この頃でした。




ある意味
セラシアイよりも釈迦かもしれないな・・・

好きなアーティストがいる。

ヴィジュアルも声も歌も好きなアーティスト。

その彼女が、キリスト教徒に転向するってゆー報道を読んだ。

彼女はJAMAICAN
ラスタファリアンの間で否定的な意見が噴出したらしい。

報道を受けた彼女は
「私はドレッドロックスじゃないわ。偽物のドレッドロックスを頭にのせるつもりなんて毛頭ない。それは全部精神の問題なの。私はラスタファリの子供よ。マーカスガーベイやキング牧師、そしてセラシアイの
教えに帰依してるの。」
ってコメントしてた。

彼女はラスタファリはキリスト教の教えも包括すると迷いのない目で語ったそう。


「クリスチャンについて考えるとき、私たちは白い肌をした神様に仕える人を想像する。だけど愛に肌の色はない。私は実際に神様をこの目で見たわけじゃない。でも私は愛を知ってるし、私の精神は生き続けることも知ってる。私たちは、愛、ユニティー、一緒にいること、ひとつになること・・・それらから始まる。だけどまだ私達は一つになりきれていない。そんなことで私達の子供から何を期待しようってゆーの?私の信念は私のもの。私に宗教的なことを期待しないでほしい。ただ、実生活に基づく真実を期待してほしい。」って言ったらしい。



クリスチャンがどーとか、こーとかは別として・・・
いろんな意味で、朝っぱらから胸が熱くなったからブログに書いてみた。


アタシは
音楽は環境、宗教、階級、肌の色、信条、罪と愛、いろんなモノに話しかけることができるって思ってる。この信念はこれからも変わることはないって思った瞬間でした。