最近
KARMAのことを良く考えます。

KARMA=因果応報
新興宗教的には

『よい行いをした人には良い報い、悪い行いをした人には悪い報いがある。過去および前世の因業に応じて果報がある』って解釈で
まぁ
これはこれで
新興宗教的な考えを否定する気はない。

なぜなら私は釈迦を尊敬できるから

でも
自分なりの考えはちょっと違うから、これをボヤァ~とさせておくと、なんかスッキリしないので
だだだだだぁっとUPします。



因果応報。。。
例えば

大切な人を殺されたのだから、その相手を殺して復讐する
この正反対の教えだったじゃないかなゆきうきびっくり
あくまで、『教え』だったんじゃないかなゆきうきびっくり


かなり前に
ある死刑囚の本を読んだ時
『因果応報』ってのが出てきた。
『人の命を奪えばその因果が自分に返ってくる。だから死刑制度というのはあってよいのだ』
的なことが書いてあって。
そのときに「因果応報ってのはそーゆー意味じゃねーだろ」と突っ込んだんだけど、どうもこの言葉、「え? そういう意味でしょ?」って思っている人も多い汗

悪いことをすれば必ず悪い結果となって自分に返ってくる。
「因果応報」ってのはそういう意味じゃない。バフッ!
アタシが最近日々思う『因果応報』の意味
それは単に『すべてのものごとには原因と結果がある』というだけのものだ。バフッ!
そこに「悪いことをすればうんぬん」って意味なんてない。

「因果」ってのは「原因と結果」のこと。
ある結果には、必ずその原因がある。そういうこと。
で、「応報」ってのは「原因に応じて結果が現れる」ってこと。
これが「悪いことをすれば、悪い結果になる」というように読み違えられちゃうんだろうけど、別にそういう意味じゃないでしょ汗
ってか、そもそも「そんなもんを結果ってゆーな」というべきか。

原因があって結果がある。重要なのは、その原因は「1つじゃない」。
たくさんのさまざまな要因によって結果がある、ってこと。
更に、「その結果によって、次の結果がある」ってこと。

世の中のことってゆーのは、「いい原因が1つあるだけ」なんてことはあり得ないし
どんなことであれ、その結果の原因となるものは何十何百ってある。
その中にいいものもあれば悪いものもあって、そんなたくさんの原因の積み重ねとしてさまざまな結果がある、ってことでしょ。

で、そんなさまざまな結果の積み重ねによって、次の結果が現れる。
更にその結果によってその次の結果が・・そうやって原因と結果の輪廻が続くってことじゃない?

「こんな道筋の途中にいる」ってことで、まだ「結果」は見えないんだって思う。
たとえ何かの結果が得られたと思っても、それが原因になって更にその次の結果に、そのまた次へと連なってる。こうやって延々と続く繰り返しの果てに、最終的な結果が現れるってことでしょ?
もしくは、延々と繰り返して最終的な結果なんてないかもしれないし、『これが最終的な結果だ』って思っちゃえばそれまでだし。。。

だからこそ、仏教の世界では「悪いことをしたんだから悪い結果になったんだ」的な考えはしなかったはず。
逆に「悪い結果であっても、そこから更に精進すれば良い結果に結びつく」って、なってるはずなのに、どの本読んでも『罰当たり』的なことしか書いてない汗
解釈の仕方が悪いのかな。。。釈迦ならこうくるはずなんだけど。

「人を殺したから死刑」を因果応報とってゆーなら
「人を殺して刑務所に入って、罪を償って、悔い改めて、で見事に立ち直って立派な人生を歩んだ」ってのも因果応報じゃんははは


例えば、大切な人が殺された。
その悲しみは想像するにあまりある。
その上に更にまた、相手を憎み続けて、恨み続けて、そしてそいつを殺すためだけの日々を積み上げていくなんて、確かに気持ちはわかるけど、悲しい人生だな。
「憎い相手を殺すためだけの人生」、それはまさに「悪い原因が悪い結果を生む」の典型になりそうだし。
例えが極端すぎるけど、こんな悪循環を戒めるためにこそ、因果応報って言葉があるんじゃないかと思う。



ってのがアタシの解釈
ってゆーより、アタシの因果応報



・・どうもこの「因果応報」ってゆーのが妙に硬直した意味しか持たなくなったのは
似非宗教家や占い師の影響が大きい?とか思ったりする。ディスじゃないよ汗
「今、うまくいかないのは前世で悪いことをしたからだ」とか「先祖が悪いことをした祟りが」みたいに因果応報を説く人、いるでしょ。tmm26あれあれ。
「過去に悪いことをしたんだから、絶対に悪い結果になるに決まっている」ってゆーのは、仏教とは正反対の考えじゃん? 「たとえ悪いことをしても、努力し善行を積むことで良い結果へと転じることができるのだ」ってゆーのが仏教的教えじゃないの?

矛盾しまくってるじゃんバフッ!

世の中には「お金持ちはたくさん努力してたくさん良いことをしたからそういう結果が得られたんだ。貧乏人は怠けてばかりで努力しなかったから貧乏なのだ」ってぶっとんだ考え方の人がいるってより、それを口に出して言っちゃってる人。因果応報を勘違いした典型やろーでしょ。
でも、この「勘違いした理解」のほうが、世の中では「因果応報の正しい意味」として定着しちゃってるみたいだしね汗
人はどぉ~あれ、なんかひっかかる汗


相手の悪い行為に対し、悪い行為で返しちゃダメ。
「目には目を、歯には歯を」みたいなのは、因果応報からすれば避けたいし。
悪いことに対し、善行で返す。それこそ、因果応報のあるべき姿だと思うわ。
なんかズレちゃったけど。。。


出会ったのが原因で、今も一緒に歩んでるのが『今の』結果で
一緒に歩んだことが原因で、この先また何か結果になる。
わくわくすんだなハート
ため込んでたブログのネタを見てたら、こんなもんが出てきました。

なんてタイミング。。。


カルマ【(梵)karman】
業(ごう)



「カルマ」というのは、「魂の傾向性」のこと。

魂レベルに刻まれた「習慣」あるいは「クセ」と言った方がわかりやすいかも知れない。

こんな傾向性があることによって、ある刺激に対しては、
ほぼ一定の傾向性を持った反応をすることになる。

たとえば、失敗した直後に、「しっかりしろよ!」と言われたとする。
この言葉に対して「叱責」と受け留める人もいれば、「激励」と受け留める人もいる。
同じ状況の同じ言葉に対しても、人によって受け留める傾向性が違って
その後に起こす行動も、ある程度決まった方向を向いているもの。

こんな(思考の)傾向性があることによって、何度生まれ変わっても、
人生の転機で同様な選択をし、総合的には似た様な人生を歩んで来ているって
(お釈迦様には)見えた。 
その個々人の持つ傾向性のことを「カルマ」と称して説明したらしい。

「カルマ」とは悪い傾向性だけを指すものではなく。
芸術的なものを好む傾向、逆境を前向きに考える傾向、献身的な傾向、
革新的発想をする傾向、勤勉な傾向、きれい好きの傾向・・・
といったことも含む、魂の傾向性全般のことらしい。


これは
ホントに簡単な説明。

さらに詳しいってゆーか、マニアック向けの下書きもあるから近々upします。


この意味を
いろんな解釈で『あの人』の曲を聞くと、さらにdeepに入れそうです。
忘れないように
2010年の新月時間をメモくろーばー


2010年1月15日(金)
16:11
2010年2月14日(日)
11:51
2010年3月16日(火)
06:01
2010年4月14日(水)
21:29
2010年5月14日(金)
10:04
2010年6月12日(土)
20:15
2010年7月12日(月)
04:40
2010年8月10日(火)
12:08
2010年9月8日(水)
19:30
2010年10月8日(金)
03:44
2010年11月6日(土)
13:52
2010年12月6日(月)
02:36



えりぜだもの