施設の看護師さんにポソっと

「あと1週間くらい…」と

呟くように告げられて

 

 

3日後

 

 

4月20日午前5時8分

母はやっと全ての苦痛から

解放されました

 

 

わたしが駆けつけた時は

まだ温かかった…

 

 

“今日は9時くらいには施設に行って

3時頃まで母に付き添って帰れば

グリ婆さんのオムツ替えに

ギリギリ間に合うかな…”

 

 

なんてタイムスケジュールを

組んでいたのに

 

 

9時まで待っててくれませんでした

 

 

全然苦しまれませんでしたよ

と看護師さんに言われたのが

わたしの救いです

 

 

「やっと楽になれたねぇ」と

母に告げました

 

 

実は昨年、とても危険な状態が

あったそうです

 

 

『あったそう』と言うのは

 

 

わたしはその事をよく覚えて

いなかったから…

 

 

昨年のちょうど今頃

やはり今回と同じように嚥下が

できなくなり

 

 

会わせたい人がいれば

今のうちに…

 

 

と言われていたそうです

 

 

兄嫁はわたしも母に会いに行ったと

言うのですが…

 

 

わたしにはその記憶がありません

 

 

全く同じ頃わたしの夫も

いつどうなるかわからない状態

だったのです

 

 

母は、わたしが夫を見送り

ようやく1年が経とうとして

少し以前の自分を取り戻しつつある

今の今まで

 

 

待っていてくれたのでは

ないだろうか…と

 

 

勝手に思っています

 

 

色んな手配を済ませ

斎場へと向かう前に

夫の時にそうしてもらったように

 

 

遠回りになるけど家の前を通って

斎場に連れて行って貰えばいいのに

…と兄に言うと

 

 

兄は担当者にその旨を伝え

実家の前で車を停めてもらいました

 

 

その時兄が

「お母ちゃん、家に連れて帰って

あげれんですまんのう」と言ったのを

聞いた斎場の方が

 

 

「今夜はお家で過ごされても

大丈夫ですよ」と急遽提案して

くださいました

 

 

なので、今母は念願の家に帰り

静かに眠っています

 

 

昨夜は一睡もできませんでした

 

 

そういえば夫の時もそうだったなぁ

 

 

どうせ寝付けないのなら

いっそ起きてブログに書き留めて

おこう

 

 

と、朝も早よからパチパチ

キーボードを打っています

 

 

施設の看護師さんから

様子が変です、と連絡があり

駆けつけたのは17日の月曜日

 

 

その時母の耳元で

「ありがとね!いっぱい

可愛がってくれてありがとね!」

 

 

と言うと

もう喋れない母の口から大きな声で

 

 

「あー」

 

 

と声が漏れました

 

 

するとそばにいた看護師さんが

「今、お母さんもありがとうと

言われましたよ!」と教えてくれました

 

 

真実は誰にもわかりません

 

 

でもそれが最後の『会話』だと

思えば

 

 

このお別れも温かい思い出と

なりそうな気がします

 

 

 

 

 

それでは

みなさま

ごきげんよう

 

 

 

 

 


我が家の庭に
母が勝手に植えた芍薬が
今年もモリモリ蕾を付けています


 

 

 

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