ランカスター Lancaster 観光、前々回の続きです。ランカスター城とショボい古代ローマ時代の共同浴場(遺跡)のある丘(Castle Hill )を下って...
ルーン川 River Lune を見に行きました。

(上の写真はもっと水が引いていた翌日戻ってきた〔後述〕晴天の午後です。カモとカモメの仲良しひなたぼっこ)
このあたりはセイント・ジョージス・キィ Saint Georges Quay と呼ばれる歴史的なもと「埠頭」なのですが...これが?浅そうでビックリ。

川底の土砂の色なのか水も薄めたコーヒーのような茶色できれいではありませんし。
18世紀から19世紀の末まで、川下のランカスター港は英国有数の重要な港だったそうです。

港に接岸した大きな輸送船から、満潮時にはエキゾチックな積荷(ラム、紅茶、コーヒー、マホガニー、砂糖など)を小舟に移してこのキィまで川を上って移送したようです。
満潮時は、この遊歩道も冠水するらしいです!

道路が河水で浸水しないようにこの黒い鉄扉を閉めるのでしょう。
河沿いにズラッと並ぶ当時の倉庫は、ほとんどがおしゃれなフラット(マンション)に改装されています。
ウィッキピィーディアから勝手に借りたこの写真☟は、橋を渡った対岸から撮ったようです。

河沿いの遊歩道を鉄道橋まで15分ほど歩き、帰りは河の同じ側の歩道を倉庫だった建物を含む古い建物をながめながら、丘を通って町に戻る遊歩道の入り口まで戻りました。

この鉄道橋の上には線路沿いの歩道があり、向こう岸まで渡れるようになっています。
半分ほど歩いて、河のー番深そうなコーヒー色の水面を見下ろしてみましたが積み荷を載せた小舟が多数行き来できたような大河の趣は全く感じられませんでした。
実はランカスターは英国史上もっとも闇の深い悪行に関わっていたのです。
(18世紀の古い倉庫に上手に建て増しされた新しい部分が調和してはめ込まれています☟)

町の繁栄に大きく貢献した産業が、17~18世紀に盛んだった 奴隷貿易 slave trade !
こんな規模の小さい町なのに、奴隷貿易の儲け額はロンドン、ブリストル、リバプールに次ぐ4番目!
(人が住んでいるフラットとして使われているらしい古い倉庫の厚い木の扉に...☟)

(あけられた、ネコ用の出入り口☟)

英国では、よく知られた「帝国主義や植民地支配の感心しない史実」...どころではないもっと恐ろしい「英国の豊かな富の蓄積は17世紀以降の奴隷貿易による」という事実がここ2~30年のあいだ、盛んに語られ始めています。ヨーロッパ中でいちばんぼろ儲けをしたのが英国です。
アフリカ大陸での奴隷狩りで捕獲された黒人奴隷は英国には上陸せず英国人経営の西インド諸島の農園や、合衆国南部に直接、連れていかれました。農場で奴隷労働を使って生産された農作物が英国に輸入され、アフリカの奴隷仲買人(英国人などのヨーロッパ人)の手には、鉄器や武器などが渡ったということです。いわゆる三角貿易 The Transatlantic Triangular Trade ですね。非道!
どの町でも奴隷商人は奴隷を見ることなくドえらい額の儲けを懐に入れ、なおかつ町の福祉、公益にけっこう貢献もしています。
英国人は(合衆国なんかと違って)国内で奴隷が搾取されているところを見ていないものですから、それほど罪悪感は感じなかったのかもしれません。
河沿いの倉庫だった建物に挟まれた、ランカスター海事博物館 Lancaster Maritime Museum です。月、金、土、日曜日の午後3時間しか開館していません。入館料は5ポンド(子供は無料)

お城を見学した後、丘を下りて河に出た日は木曜日でしたので閉まっていました。
ランカスター滞在最終日の金曜日、帰宅する電車の時間が午後遅くでしたので、博物館目指してもう一度戻りました。

...が、実は町へ戻らなくてはならない事情があり博物館は入らずじまいでした。
18世紀の商館の内部が見たかったので、ちょっと残念でした。
前日、電車で10分のモーカムの海岸で1日強い日光に当たって体力を消耗していたため博物館にまた戻る気力はちょっとなく、数時間、町のカフェでのんびり座って過ごしました。
帰宅後、調べてみたら奴隷貿易関係の資料が充実していたようです。行かなかったことをいま、かなり後悔しています!
(翌日戻ってきた時は晴天でした)

...英国ではあまり珍しいことでもありませんが、指定席の切符を買ったマンチェスター行きの帰りの電車がキャンセルされました!(オンライン予約した夫にちゃんと自動メールで連絡をよこすところが律儀ですが)
結局、予定していたより2時間早く、帰宅しました。(直通電車が他になかったので)