今日は久しぶりの映画鑑賞
1年くらい前にアメリカでBarbieと同時公開されたある意味話題作品【オッペンハイマー】を鑑賞しました!
日本人観点から一言で申し上げますと、【複雑】でした。
道徳的な感情に揺さぶられながら自らの功績を残したオッペンハイマーと、オッペンハイマーに対して個人的な憎しみから、そのモラルを逆手に取って自身のステイタスを無理矢理知らしめて名を馳せた政治家ルイス・ストローズとの戦いがこの作品の醍醐味だったからだ。
1年前、あるmemeを発端に、日本国内でもいろいろと物議を醸した作品でもあったので、
ある意味、怖い物見たさでシアターに足を運んでみたものの、
原発云々というよりかは、第二次世界大戦のドロドロとしたアメリカの政治情勢がメインになっておった.....
被爆国からの観点をガン無視した上で、
このドキュメンタリーへの素直な感想としては、、、
彼は物理学者として命を懸けて自分のミッションを全うした。それ以上でも以下でもない。
自分の努力の結晶によって失せられた多くの命に対して、我々には計り知れぬほどの後悔と懺悔の年に苛まれていた。
(という風に描かれていたとでも言っておこう。)
一方で、ルイス・ストローズはオッペンハイマーに敵対する人物。(という風に描かれていた)
彼がオッペンハイマーに対峙する全ての発端は、個人的な恨みでしかない。
彼は一見、我々被爆国日本人の味方に付いているような’映り方'をしていたが、
本当に被爆国犠牲者一人一人の命の尊さを感じていたという風には見えなかった。
"形だけのモラル感"を逆手に取り、オッペンハイマーを陥れ、
身勝手にも自分自身がアメリカという大国で栄光と功績を遺すことしか企んでいなかった。(という風に描かれていた)
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(という風に描かれていた)とあえて表現しているのは、
映画は映画でしかないし、歴史は歴史でしかないからだ。
つまり、どんなに確からしいと描かれている映画も、記載のある歴史書物も、
結局は作者の主観が混ざっている。
個人的に、過去のことになど、事実は存在しないと思っている。
故に、この作品も含め、あらゆる歴史="過去の話"は100%真実だとは到底思えない。
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個人的な考えはさておき、作品の話に戻そう。
この作品に限っては、誰がどう観るかによって感想が異なってくると思っている。
個人的に心に触れた人物としては、イジドール・ラビ。
彼は最後の最後まで日本を攻撃することに異論を唱えた人物でもある。(らしい)
道徳的感覚を 無理矢理 無視して、自分のミッションに一身を投じたオッペンハイマーに対して、
最後の最後まで道徳心が高かったイジドール・ラビは作中でも心優しい人物として描かれていた。
私は個人的に彼の存在に安心感を感じた。
彼の存在こそが、オッペンハイマーが道徳的感情を抱けるようになった一助でもあるのではないかと。
それ故に、オッペンハイマーは功績と道徳心の葛藤に苛まれるのかもしれないが.....
彼がただ自分の功績しか考えていない人物であれば、結局はルイス・ストローズと同じ存在でしかないし、
100年以上経過した現在に彼のバイオグラフィーが投影された作品はこの世に出回らなかったとおもう。
一応確認したが、ルイス・ストローズがメインとなった作品が出回っていることは確認できなかった。
一方で、過去のmemeもあって、この作品が日本で流行らないのは当たり前に納得できる。
多くの日本人の命を奪う根源を発明したオッペンハイマーに対して、
同情の念など一切持てない。
でも彼は、あくまでも、それを開発した科学者でしかなく、
それをどこに落とすかは、当時のアメリカ政府が決めたことだ。
被爆国の我々が本当に憎むべき対象はオッペンハイマーだったのか?
これに関しては解が難しい。彼はただの創造者でしかない。
でも、そんな彼が創造した物は、日本だけでなくこの世界をも滅ぼし得る凶悪な物体だった。
劇中の最後のシーンで、アインシュタインはオッペンハイマーに放った言葉が印象的だった。
「核爆発の連鎖反応はおそらく成功した」
オッペンハイマーの核爆発成功によって、世界中で核爆発が使用される最悪の可能性を想像していた。
アインシュタインの言葉から、オッペンハイマーはこの世の凶器を想像した人物。
それをどう使うかは政治が関わる。でも、その発端を発明したのは、彼だった。
日本人として彼が悪か否かを判断するのであれば、悪だと思う。
でももし私がアメリカ人だったら、彼に対してどんか感情を持つのだろうか。
本当に意見が分かれる【問題作】だと思うし、
問題作であると世界中に認知されて欲しい。