1度書いた記事が、スタンバイ中に消えてしまったために、結構悲惨。がんばって省略しながらも書こう。
大変な四日間だった。NSRのために、1日実験を休むものだから、24日は居残り実験をして9時に帰ってチャリの整備をして寝たのが1時、おきたのが4時、実睡眠時間1時間弱!寝付けなかったなあ。
翌日25日は、始発で東横線で横浜へ、乗り換え3分で東京へ行くものの、横須賀線と京浜東北線を間違え、到着時間が10分遅くなり、新幹線に3分で駆け込み乗車!あ=疲れたもんだ。
新幹線でもいまいち寝れずに、結局そのまま仙台着でNSR開始。結果は1人のリタイアを出したものの、それ以外はメカトラ、ヒトトラもなく、快調そのもので、26日正午過ぎに駒場へゴールイン!ビールかけが気持ちよかった。ていうかその後ぐびぐび飲んだもんだから、酔っ払っちゃったな。
さて、自分は5回もノンストップランを走らせてもらったわけで、いろいろと思うところがありました。一つは、史上最も過酷ではないかといわれた吹雪の三国峠越えのNSR新潟に始まり、糸魚川、山形、直江津、そして今回の仙台と、全コース制覇したことへの誇りと喜び。これは、自分が免許を持ってなかったためと、自分が最後の5コース制覇者の可能性を持つことであることにつけ込んだ自分のわがままさ、この二つがある。5コース制覇にはこだわった。その分身を引いて走れなかった人も居ることも分かっていた。これからはドライバーとして、クーリーとして後輩に還元していく必要があることも肝に銘じてあるつもりだ。
そして、分かったことは、何のために自分が350Kmも走ったのか、その答えは他の人と比べて薄い理由であるように思えたことだ。今回のプランナーは感動体質で、完走できなかったのにもかかわらず、ものすごく感動していた。自分にはそれがない。彼が涙したのは、全員が力を合わせて超長距離を走りきったこと、だろう。自分にとってはさしてきついことではなかったために、あまり感動できなかったのかもしれない。やはり、自分は前述のように、5コース制覇しか頭になかったようだ。もっと大事なものをこのNSRで学べたかもしれない…。と、ここまで書いて、そうでもない、自分もNSRで多くのことを学んだ、とも思う。今回は、ランナー間でぎすぎすした感じはなかったが、前回2回は、それがあった。プランどおりに時間が進まないことに対するプランナーの焦りは他のランナーをせかすようになり、我の強い者はそれに反して無理して急ごうとしない。その結果、対立が生じ、全体に不協和音が流れるようになる。これは、いろいろと勉強になり、自分にとって人と人の『和』を考えさせられるいいきっかけになったと思う。他にも、ドライバーやクーリーやOBのサポートに支えられたことに対する、感謝の念もある。彼らがいなければ全員で完走することなど不可能だろう。NSR前に、部員がNSRの目的を、「チャレンジングなハードルを、部員一人ひとりが助けあうことで、全員で乗り越える、400kmを走ることは本質ではない、そのことを理解しておいてほしい」 と書き込んでいた。それを見た自分は、言い方が押し付けがましいと正直思った。こういうものは、自分で見出すもの、と思う気持ちもあったから。でも、これを自分は軽視していたために、重視していた今回のプランナーはより深く感動できたのだとも思う。
まとまりがなくなったが、自分には無感動体質な面がある。それは生まれ持ったものだから、仕方ないのかもしれないが、もう少し人のいうことに耳を貸し、感受性を意識的に高めようとすることで、より深い世界を見えるということは間違いなさそうだ。22歳になって、若干?幼児退行しているような自分は、このことを深く思いをめぐらせて、より実りのある人生にしていきたいと思う。
27日は打ち上げ飲み会。ひどかった、けど楽しかった。飲み会の楽しみは、酒を飲んでリミッターが外れた自分でみなを盛り上げ、自分も楽しむことにある。しかし、行き過ぎは他人に不快感を与え、自分にも嫌悪感を残す。最近、後輩をいじりすぎだと切に思う。普段の自分はしめるところはしめて、緩めるところで後輩をからかって、笑いをとる、という感じ。後輩に対しても、頼まれたり聞かれたことには真摯に答えたり相談に乗ったりしているつもりだが、このバランスが崩れると、後輩の自分への感情が、負の方向へ傾くだろう。最近心配だ。やはり、あの二人をいじりすぎかもしれない。もう少し、自分の自制心を強くして、というか、他人をいじるのは少なくしよう、と今の時点で思う。あとで読んだら、何言ってんだ、と思うかもしれないが、それもまた楽しみ。
日記は思っていることを文章化することで、記憶にも残るし、自分の反省にもなる。これからも日記は続けていきたい。そしていつか本として手元に残しておきたいな。