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ell08

既婚者が日常の中でふと出会う
ドキドキと一線を超えそうになる

そんな心情を
シリーズ展開しブログ執筆しています。

 

午後三時、雨上がりの空気は少し湿っていた。

ガラス越しに光が滲むカフェの中で、彼女はもう座っていた。

白いブラウスの袖をまくり、スマホを机に伏せたまま、カップの縁をゆっくり指でなぞっている。

その仕草だけで、空気の温度が少し変わる気がした。

 

 

「来てくれたんですね」

そう言って微笑んだ。

言葉よりも、その“間”のほうが印象に残った。

 

 

向かい合う席のテーブルは小さく、

指先が触れそうで、触れない距離。

ほんの数センチの空白に、世界が詰まっていた。

 

 

「ここ、落ち着きますね」

「うん。外の音が遠く感じる。」

それだけの会話なのに、息が浅くなる。

 

 

窓の外では雨粒が屋根を打つ音。

店内のスピーカーからは、古いピアノの旋律。

静けさが、かえって音を鮮明にしていく。

 

 

彼女の指がカップを持ち上げるたび、

金の細いリングが光を弾く。

その光が、僕の視線を奪う。

 

 

「あなた、仕事のときと少し違いますね」

「そう?」

「ええ。今日は、柔らかい顔してる。」

そう言われて笑ったふりをした。

でも、笑えていなかった。

 

 

沈黙がひとつ。

その沈黙が、心地いいのか怖いのか、自分でも分からなかった。

 

 

「……このまま、どこか行きたいですね」

彼女の声は静かだった。

曖昧な言葉なのに、意味ははっきりしていた。

僕は答えず、視線だけで返した。

 

 

彼女はカップを置き、バッグからハンカチを取り出した。

その手首の白さが、雨上がりの光を受けて淡く輝く。

 

外に出ると、街は少しだけ夏の匂いがしていた。

傘を差すほどではない雨が、地面に淡い影を作る。

 

 

「また、連絡しますね。」

そう言って彼女は歩き出した。

 

 

ほんの一歩の距離。

その一歩が、どうしても踏み出せなかった。

 

 

ポケットの中で、スマホが微かに震えた。

画面には、妻からのメッセージ。

『今日、少し早く帰れる?』

 

 

僕は空を見上げた。

雲の切れ間から光が差し込む。

その光が、まるで“まだ間に合う”と言っているようで、

なぜか、少しだけ苦しかった。