既読がついたのは、二分後だった。
「今日、少しだけ会えますか」
たった一行のメッセージなのに、
指先から血の気が引くのが分かった。
デスクの上にはまだ書類の山。
会議の時間を見て、予定を一つだけ消した。
“社外打合せ”という名の嘘を、
スケジュールに書き込む。
午後四時。
駅近くの喫茶店の窓際。
彼女はいつものように先に座っていた。
淡いベージュのジャケット。
光の加減で、髪が少し金色に見えた。
「忙しいのに、ごめんなさい。」
「いや、大丈夫。たまたま空いたから。」
嘘が、思っていたよりも簡単に口を出た。
彼女の手には、折りたたまれたメモ。
「これ、渡そうか迷ったんです。」
封筒の中には、
“また会いたい”という文字と、
店の住所が書かれていた。
心臓が一度、跳ねた。
けれど顔は動かさなかった。
コーヒーを飲むふりをしながら、
文字を頭の中で繰り返す。
「この前のこと……考えてました。」
彼女は静かに言った。
“この前”とは、あの日のカフェのことだ。
触れなかった指先。
あの沈黙。
「私、ああいう時間、久しぶりで。」
「……俺も、かも。」
声が少し掠れた。
窓の外で信号が青に変わる。
その青が、ガラスに反射して
彼女の瞳を冷たく照らす。
その光が、きれいで、怖かった。
テーブルの上、彼女の指が動いた。
僕のカップの取っ手に、ほんの少し触れた。
偶然かもしれない。
でも、その瞬間、世界が止まった。
数秒後、彼女は何事もなかったように手を引いた。
「……すみません。つい。」
「いや。」
その“いや”に、どんな意味があったのか、
自分でも分からなかった。
店を出ると、まだ陽は沈みきっていなかった。
湿った風が頬を撫で、
背中のあたりが妙に熱かった。
帰り道、ポケットの中の封筒がやけに重い。
封を開ける勇気も、
捨てる勇気もなかった。
信号待ちのあいだ、
スマホが震えた。
画面には妻の名前。
“今日、夕飯いらない?”
僕は少し考えて、
“まだ外だから、いらない”とだけ返した。
画面が暗くなったあと、
手の中の封筒の端を、無意識に指でなぞった。
その紙のざらつきが、やけに生々しかった。
