日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ -25ページ目

「石川直樹氏の挑戦に学ぶ—身体を使って地球を知覚する方法とは?」

皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。明日は東京も雪の予報です。暖かくお過ごしください。


ずいぶんご無沙汰してますが日々の仕事に追われて毎日忙しく過ごしております。1月は何かと集まりが多くなり外食ばかりです。水耕栽培のレタスやクレソンを採取しながらレシピを考えてます。




先日JIDAの賀詞交換会で「石川直樹」さんのお話しをお聞きする機会に恵まれてラッキーでした。

https://www.instagram.com/p/DDOVK3aPHZP/?igsh=em1qbTA2eGhtcHA5



彼の話を聞いて、私は強く心を揺さぶられました。石川直樹さんは、単なる登山家でも写真家でもなく、自らの身体を使って地球を知覚し、その体験を記録する旅人なのだと感じました。彼が歩んできた道は、過去の冒険者や探検家たちが開いた道と重なり、さらにその奥へと続いています。

彼の旅のスタイルは、単に目的地に到達することがゴールではありません。たとえば、ネパールの山岳地帯では、登山とは別に荷物を運ぶ仕事を請け負い、現地の人々と共に過酷な環境を歩いたそうです。そこには、ただ登るだけでは得られない経験があり、地形や気候、文化の中に溶け込むことで初めて見えてくるものがあるのだと言います。そして彼はこう語りました。

「身体を使って地球を知覚する」

この言葉を聞きながら、ふと考えました。私たちは普段、どれほど自分の身体を使って世界を感じているだろう?仕事に追われ、日々の生活に流されていると、いつの間にか「自分の身体を通して世界を知る」という感覚を忘れてしまいがちです。でも、本来、食べることも、歩くことも、踊ることも、すべては「世界を自分の身体で受け止める」行為のはず。

だからこそ、私ももっと意識的に、自分の身体を使って世界を咀嚼してみたい。今、私が手がけている水耕栽培のレタスやクレソンも、その一歩かもしれません。自分で育てたものを収穫し、味わいながらレシピを考える。そんな何気ない日常の中にも、「世界を身体で知る」ヒントが隠れている気がします。

生きているからこそ、もっと身体を動かし、手を使い、足を運び、舌で味わい、肌で感じる。そうやって、私自身の旅を続けていきたいと思います。

そして、石川さんの姿を見ていると、生きていることと死んでいくことの境界線があやふやになるくらいの限界の自然を感じるために、あえてチャレンジするという、その精神に強く惹かれました。そこには、恐怖と隣り合わせの世界に飛び込み、身体全体で「生」を感じようとする意志がある。生きることの実感を得るために、自然の懐に飛び込む。そうした境界線の上を歩く生き方に、言葉にできないほどの憧れを抱きました。


【禁断の方法】現実を改編する鍵とは?『タフティ―夢見心地のプリンセス』が語る意識の力


皆様こんにちは!最近、新しいタブレットを購入して、読書の楽しみが再び広がりました。本のページをめくる感覚ではありませんが、タブレットの画面に映る文字から心の中に新しい世界が広がるのを感じています。その中でも特に心を奪われたテーマが「現実を改編する」という少し神秘的で魅惑的な内容です。

バジム・ゼランドの著書『タフティ―夢見心地のプリンセス』。

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この本を理解するために何度も読み返しているのですが、読むたびに新しい気づきがあり、日常に新鮮な視点をもたらしてくれます。

『タフティ』が教えてくれるのは、日常をただ流されて過ごすのではなく、あたかも「アバター」を操作するかのように楽しむという新しい生き方の可能性です。この本を通じて発見した魅力をお伝えします。


「あなたは本当に起きていますか?」意識への挑戦状

『タフティ―夢見心地のプリンセス』の冒頭に登場する挑発的な問いかけは、私たちの心に鋭い一撃を与えます。

「あなたは今、起きていますか?それとも寝ていますか?」

一見簡単な質問のようですが、これは私たちの日常に潜む無意識の習慣やルーティンに気づかせるためのものです。目覚めた意識を持たずに過ごす日々は、まるで自動操縦で進む映画の一部のよう。しかし、『タフティ』が教えるのは、「その映画の脚本を自由に書き換えることができる」という事実です。これに気づいた瞬間、自分の人生がただの連続した出来事ではなく、創造的な冒険になるという感覚が芽生えます。



人生をアバターとして楽しむ:自分がゲームのプレイヤーになる

本書のもう一つの革新的なアイデアは、「現実をアバターとして生きる」という概念です。私たちはこれまで、自分の人生をただの「現実」として受け入れることが当たり前だと思っていました。しかし、タフティは私たちにこう問いかけます。

「もし自分が現実世界のプレイヤーであり、身体や意識を使うアバターだとしたら?」

この発想は、日々の行動を一つのゲームのように捉える自由を与えてくれます。仕事も、家事も、人間関係も、ただ「やらなければならないこと」ではなく、「どんな選択をすれば自分というキャラクターがもっと楽しめるか」を試すチャンスになります。現実をゲームフィールドとして見れば、どんな瞬間も退屈ではなく、新しい挑戦の場に変わるのです。

現実は映画:観客から脚本家、そしてプレイヤーへ

本書では、現実を映画に例え、「台本」という形で私たちの無意識の習慣を説明しています。しかし、ここで終わらないのがタフティのユニークな点です。ただの「脚本家」ではなく、映画の中のキャラクターを意識的に動かすプレイヤーとしての視点が提示されます。

たとえば、ネガティブな感情に襲われたとき、ただ受け入れるのではなく、「自分のアバターが今、何を感じているか?」と俯瞰的に捉え、次にどんな行動を取るかを選ぶことができます。この切り替えができるようになると、人生のコントロール感が増し、現実をもっと楽しむ感覚が得られるようになります。

三つ編みのエネルギー:現実改編の秘密ツール

『タフティ』に登場する「三つ編み」という概念も、アバターとして生きる感覚を助けてくれる大切なツールです。過去、現在、未来という時間の流れを意識的につなぎ、エネルギーを編み込むことで、理想の未来を創り出す方法が語られています。

たとえば、自分のアバター(つまり自分自身)をどのような環境や未来に置きたいのかを明確にイメージすることから始めます。そして、その未来が今の行動にどう影響するかを意識しながら過ごすことで、ゲームのステージが一つずつ変わっていく感覚を楽しむことができます。

量子物理学が示す「プレイヤーの力」:観測者効果とのリンク

量子物理学の「観測者効果」は、『タフティ』が語る現実改編の理論と強く結びついています。この効果では、観測する行為そのものが粒子の状態を変えることが知られています。これは、私たちがどこに意識を向けるかで、現実がどのように変化するかを科学的に裏付ける現象です。

プレイヤーとしての意識で現実を観察するとき、私たちはただ受け身で経験を重ねるのではなく、意識的に「次に何を選ぶか」を決める力を手に入れます。自分の人生というゲームの中で、選択肢を増やし、最も楽しめる選択を選ぶプレイヤーの視点を持つことで、現実の楽しみ方が一変します。

現実改編を楽しむ3つの実践ステップ

『タフティ』をベースに、現実をアバターとして楽しむための3つのステップをご紹介します。

1. 気づきのスクリーンを観察する

自分の意識がどこに向いているのかを確認し、不要なパターンを断ち切る。

2. 三つ編みを使って未来をデザインする

アバターとしての自分がどんな未来を選びたいかを明確にし、それを現在と結びつける。

3. プレイヤーとしての選択を楽しむ

日常の些細な選択にも意識を向け、「自分ならどう行動するか?」という視点を常に持つ。

【結論】現実をゲームのように楽しむ新しい生き方



『タフティ―夢見心地のプリンセス』は、現実をただの「固定されたもの」として捉えるのではなく、まるでゲームのように自分自身のアバターを操作し、楽しむ新しい視点を教えてくれる一冊です。この本を何度も読み返している中で、毎回新しい発見があり、その度に自分の人生に対する見方が深まる感覚があります。


日常のルーティンや義務から解放され、自分の人生をデザインする自由を手に入れる鍵。それが、意識の力を使った現実改編なのです。

今日から自分の人生を映画やゲームとして捉え、自分というアバターを最高に楽しむ旅を始めてみませんか?その冒険の先には、これまで想像もしなかった自由で創造的な現実が広がっています。


「絶対無理!」と思った人やモノほど、なぜか逃げられない不思議

皆様こんばんはいかがお過ごしでしょうか。最近点と点が結ばれて線になっていく様が感じられるようになってきました。今日は、メガネのレンズを変えに出かけてクロスバイクを楽しみました。冷たい風が心地良かったです。




さて、皆さんも経験ありませんか?初対面で「この人だけは絶対に無理」と直感的に思ってしまう瞬間。もしくは、新しく試した何かが「これ、私の性に合わない」と即座にジャッジされること。なのに、そういう「無理!」と思った相手やモノほど、後々になって不思議と人生に深く関わってくる。なぜなんでしょう?宇宙のいたずら?それとも人間心理の仕業?


今回は、その「逃げられない関係」の謎をちょっぴり皮肉を交えつつ紐解いてみたいと思います。


第一印象の“嫌い”は本能的防御反応⁉

私たちが直感で「嫌だ」と感じるのには理由があります。それは、本能的に自分を守るための防御反応。たとえば、嫌な態度を取る人や自分と違う価値観を持つ人に出会うと、その違和感に不快感を覚え、脳内で「これは危険信号だ」とアラートが鳴るのです。

しかし、ここに一つの落とし穴があります。直感は、過去の経験や固定観念に基づいていることが多いので、実はあなたの偏見が作り出した幻影かもしれません。つまり、「絶対無理!」と感じる理由が、あなたの内側に潜んでいることもあるんです。


なぜか巡り合う“絶対無理”の法則

人生は皮肉なもので、「嫌だ」と思ったものほど、何度も繰り返し目の前に現れることがあります。まるで「お前が嫌いと言ったな?でもこれが課題だ、受け取れ」と言わんばかりに。

これは一体なぜなのでしょうか?


① 成長のためのチャンス

人生は不思議と、苦手なものを通じて成長のきっかけをくれることがあります。例えば、苦手な同僚と一緒にプロジェクトを進めることで、自分に足りないものに気づいたり、意外な一面に気づいたりすることがあるのです。結局、嫌だと思っていたものが「実は学びの宝庫」だった、なんてことも。


② 心理的投影

「嫌だ」と思うものや人の中には、自分が無意識に隠している性格や価値観が反映されていることがあります。自分の中にある「見たくない部分」を相手に感じているだけだった、というケース。これが分かると、逆に「なんだ、自分も結構似た者同士じゃないか」と笑えてきます。


③ 感情が強いほど記憶に残る

「無理!」と思う感情は強烈なので、心に刻まれやすいです。その結果、記憶に残り、意識的にも無意識的にもその存在に引っ張られてしまいます。これが「逃げられない」感覚を生む原因の一つです。

“見えないからこそ良い”という贈り物

でも実は、「絶対無理!」と思った相手や状況に出会うことには、もう一つの面白い側面があります。それは、「見えなくていい現実」を教えてくれること。

例えば、細かい欠点や、些細な違いに気を取られてしまうのは、ある意味でエネルギーの無駄遣いです。年齢を重ねて老眼になり、手元のシワや細かい字がぼやけて見えたとき、「これぐらい見えなくてもいいのかも」と感じたことはありませんか?「絶対無理!」と思った人やモノも同じで、その全てを理解し、克服しようとする必要はないのです。むしろ「ぼやけたまま」が心地よく、許容できる余白を生む場合もあります。


嫌いが好きに変わる瞬間もある

最後に、人生の妙をもう一つ。最初は「嫌い」だった人やモノが、時間とともに「なくてはならない存在」になることってありませんか?それは、最初の抵抗が薄れたとき、私たちがその本質を受け入れられるようになるから。

例えば、苦手だった同僚が、あるとき自分を助けてくれた瞬間に「意外といい人だな」と思えたり。最初は嫌いだった食べ物が、ふとしたきっかけで「実はめちゃくちゃ美味しい」と気づいたり。こうした転換点もまた、「絶対無理!」と思った相手やモノに逃げずに関わることで得られるものです。

🌟人生の小さな皮肉を楽しむ

結局、「嫌い」と思うものほど、何度も人生に登場するのは、成長や学び、そして視野を広げるための巡り合わせ。だからこそ、最初の印象だけで全てを決めつけず、少しだけ心の余白を持ってみると良いのかもしれません。

「絶対無理!」と思ったものが、もしかしたら未来の大切な存在になるかも。そんな人生の小さな皮肉を、少しだけ楽しんでみませんか?