
鏡には映らない「私」を、他人は見ている。 ——装いがつくる、五感に残る印象と魅力
皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
出かける前、鏡の前に立って自分を確認する。
髪型は大丈夫かな。 今日の服は似合っているかな。
アクセサリーはこれでいいかな。
私たちは「今日の自分」を、まず鏡の中で確認します。
でも最近、ふと思ったことがあります。
「他人が見ている私」は、鏡の中の私とは少し違うのではないか。
なぜなら、鏡に映るのは主に「見た目」だからです。
他人は、私の声を聞いています。 話すスピードや笑い方を感じています。
歩き方や姿勢を見ています。 近くにいれば香りも感じています。
さらに、言葉遣いや仕草、相手との距離感、その場につくる空気まで。
そう考えると、「装う」ということは、単に服を選ぶことだけではないのかもしれません。
「素敵な人」って、何が素敵なのだろう?
街やパーティー、仕事の場などで、「あの人、素敵だな」と思うことがあります。
でも、その「素敵」は何なのでしょう。
顔立ち? スタイル? 服がおしゃれだから?
もちろん、それもあるでしょう。
けれど、顔や服だけでは説明できない魅力を持っている人もいます。
声が心地いい人。 姿勢が美しい人。 話し方に品がある人。
笑ったときの表情が素敵な人。 動作が美しい人。
近くにいると、なぜか心地よい人。
反対に、とても素敵な服を着ているのに、なぜか全体としてしっくりこないこともあります。
そこで、ふと思いました。
人の魅力とは、一つの要素ではなく、いろいろな感覚が重なって生まれるものなのではないか。
「ソニック・シーズニング」から始まった疑問
そんなことを考えるきっかけになったのが、「ソニック・シーズニング」という言葉でした。
簡単にいうと、音によって食べ物や飲み物の味の感じ方や、食体験の印象が変わるという考え方です。
同じものを食べていても、周囲の音や音楽によって、甘味や苦味などの感じ方や、食事そのものの印象が変化することがある。
つまり、「味」さえ舌だけで決まっているわけではない。
面白いなと思って調べていくと、「クロスモーダル」という考え方にたどり着きました。
クロスモーダルとは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など、異なる感覚から入ってきた情報が互いに影響しながら、私たちの知覚や体験をつくることです。
例えば料理なら、色、形、香り、食感、温度、器、噛んだときの音、店内の音楽、照明。
それらが重なり合って、「おいしい」という一つの体験になる。
そこで、また思ったのです。
これを「人」に置き換えて考えてみたら、どうなるのだろう?
「装い」は、服だけではない
服の色や素材。 靴の音。 香水やヘアケアの香り。 姿勢や歩き方。
声や話し方。 物を渡すときの仕草。 人との距離感。
私たちは意識しているかどうかにかかわらず、全身からたくさんの情報を発しています。
そして、それらが組み合わさって、相手の中に「優しそう」「凛としている」「知的」「華やか」「安心する」「なんとなく素敵」という印象が生まれているのかもしれません。
鏡には映らない「私」
ここで、少し怖くもあり、面白くもある疑問が生まれます。
「私は、他人にはどんな人として感じられているのだろう?」
自分の顔や服装は、鏡で確認できます。
でも、自分が誰かと話しているときの表情を、私はほとんど見たことがありません。
歩いている後ろ姿。 誰かの話を聞いているときの顔。
何気なく発している声のトーン。 笑い方。 物を渡すときの仕草。
それらはむしろ、私自身より周囲の人のほうがよく知っています。
つまり、「私が知っている私」と「他人が体験している私」は、完全には同じではない。
このことに気づくと、「自分を見る」という意味が少し変わってきます。
大切なのは「欠点」ではなく「ズレ」
ここでやりたいのは、自分の欠点探しではありません。
「もっと若く見えなくてはいけない」 「もっと痩せなくてはいけない」
「もっとおしゃれにならなくてはいけない」
という話でもありません。
むしろ知りたいのは、「自分がありたい姿」と「他人に伝わっている自分」の間に、どんなズレがあるのか。
例えば、「親しみやすい人でありたい」のに、緊張すると表情が硬くなっている。
「落ち着いた人でありたい」のに、話すスピードがとても速い。
「品のある人でありたい」のに、立ち方や物の扱い方が少しせわしない。
だとしたら、服を買い替える必要はないのかもしれません。
話す速度を少しゆっくりにする。 姿勢を意識する。
相手の話を聞くときの表情を柔らかくする。
そんな小さな変化のほうが、自分の印象を大きく変えることもあるのではないでしょうか。
年齢を重ねるほど、魅力をつくる要素は増えていく
若いころは、装うことを「どう見えるか」という視覚中心で考えていたように思います。
でも年齢を重ねると、それだけではない魅力に気づくようになりました。
美しい声。 穏やかな話し方。 自然な笑顔。 美しい姿勢。 丁寧な仕草。
その人らしい香り。 人への接し方。 一緒にいる人を心地よくさせる空気。
そうしたものまで含めて、その人の「装い」なのかもしれません。
そう考えると、年齢を重ねることは、魅力を失っていくことではなく、「魅力をつくる要素が増えていくこと」とも考えられます。
外見だけではなく、声も、言葉も、仕草も、経験も、自分の魅力として育てていけるからです。
では、「他者から見える私」をどうやって知る?
ここまで考えたところで、私は自分自身を「クロスモーダル」の視点から客観的に見てみたくなりました。
「視覚の私」 「聴覚の私」 「香りとしての私」 「身体の動きとしての私」
それらを全部合わせたとき、他者の中には、どんな「私」ができあがっているのだろう?
そして、「自分が思っている私」と「他者が感じている私」の間には、どんなズレがあるのだろう?
ここから先が、今回いちばん考えてみたかったことです。
鏡を見るだけでは分からない自分を、スマートフォンの動画や音声、そして他者の視点まで借りながら客観視してみる。
すると、「直したいところ」だけではなく、「自分では気づいていなかった魅力」まで見えてくるかもしれません。
noteでは、自分を「視覚」「聴覚」「香り」「身体の動き」に分解して見る方法、スマートフォンを使って「他者から見える自分」を疑似体験する方法、自分が思っている自分と他者に伝わっている自分の「ズレ」の見つけ方、そして「自分磨き」ではなく「自己デザイン」という考え方について、もう少し深く書いてみました。
続きはnoteへ
人の魅力は“五感”でできている
——クロスモーダルから考える「他者から見える私」のデザイン
鏡には映らない「私」。
そこには、改善したいところだけではなく、「自分ではまだ気づいていない魅力」も隠れているのかもしれません。
自分を変えるのではなく、自分をもう少し深く知ってみる。
そんな「自己デザイン」について、noteで続きを書いています。
