
自分で手に入れたものだからこそ、ときめく
欲しさが静まったあとに残ったもの
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このスタンドFMは、もともと日本の怖い話を、AIでイラスト化し、その物語を語るために始めました。
見えないものや、言葉にならない気配。少し怖くて、でもどこか惹かれてしまう感覚に、
私はずっと興味があったのだと思います。
それは、理屈では説明できないけれど、確かに「感じてしまう」何か。空気が変わる瞬間や、背中がひやりとする感覚、理由はわからないのに、なぜか心に残ってしまう余韻。
けれど、続けていくうちに、もうひとつ、静かに残しておきたいものが自分の中にあることに気づきました。
それは、日常の中にひっそりとある、色めきや、艶めき、そして、ふと胸がときめく瞬間です。
怖さと、ときめき。
一見すると正反対のようでいて、実はとても近いところにある感覚なのかもしれません。
どちらも、「気づいてしまった瞬間」に立ち上がるものだから。
欲しい、という感情の変化
今日は、誰かにもらったものではなく、自分で手に入れられたものだからこそ、ときめくそんな感覚について、少し書いてみようと思います。
50代に身を置くようになって、自分が選ぶものが、少しずつ変わってきたことをはっきりと感じるようになりました。
若いころの私は、憧れや評価の延長線上にあるものを「欲しい」と感じることが多かったように思います。
大人の女性が身につけているエレガントなブランド品。丁寧に整えられたメイク。それらを持つことで、自分もどこか「ちゃんとした場所」に近づける気がしていました。
それは決して虚栄心だけではなく、社会の中で生きていくためのひとつの防具のようなものでもあったと思います。
その後、子育てや生活に追われる時期には、欲しいものの質が変わりました。
とにかく合理的で、時間と労力を助けてくれるもの。家電や道具は、「余裕」を生み出すための現実的な味方でした。
振り返ってみると、欲しいものはいつも、そのときの生活スタイルや心の状態を正直に映していたのだと思います。
そして今。
私は、自分の手で手に入れられないようなものを、無理に欲しがらなくなりました。
それは、諦めたからでも、夢を見なくなったからでもありません。
むしろ、ようやく「欲しさ」を
冷静に見つめられるようになった、という感覚に近いのです。
欲しさが静まった理由
—— スピリチュアルな視点から
感覚としては、とてもシンプルです。「それがなくても、私はもう大丈夫だ」そんな内側の声が、以前よりはっきり聞こえるようになりました。
何かを手に入れなければ自分は完成しない、という焦りが、少しずつ溶けていった感じ。
外側から満たそうとしなくても、すでに内側にあるものがちゃんと循環している感覚があります。
スピリチュアルな言葉を使うなら、エネルギーが外に漏れにくくなった、そんな表現がしっくりきます。
以前は、評価や比較によってエネルギーが外に引っ張られていた。
今は、自分の中心に戻ってきた感覚がある。それは、特別な修行をしたわけでも、何かを達成したからでもありません。
ただ、長い時間をかけて、自分の感覚を裏切らずに生きてきた結果なのかもしれません。
サイエンスの視点で見る「欲しい」
脳科学の視点から見ると、「欲しい」という感情の多くは、手に入れたあとの満足よりも、追いかけている途中に得られる報酬によって強化されると言われています。
新しいものを探しているとき。比較しているとき。もうすぐ手に入るかもしれない、という期待。その過程で、脳内ではドーパミンが分泌され、「快」の感覚が生まれます。
ところが、実際に手に入れてしまうと、その興奮は長くは続かない。
だからまた、次の「欲しい」を探し始める。年齢を重ねると、この仕組みを、頭ではなく身体の感覚として理解するようになります。
追いかけ続けることよりも、安心して味わえる状態のほうがはるかに長く心を満たすことを、
私たちは知ってしまうのです。
仏教的に見た「手放す」ということ
仏教では、
「苦しみは執着から生まれる」と説かれます。欲しいものそのものが悪いわけではありません。
苦しみを生むのは、「それがなければ幸せになれない」と思い続ける心です。
だから、無理に欲しがらなくなった今の感覚は、何かを失った状態ではなく、ひとつ荷物を下ろした状態なのだと私は感じています。
足りないから欲しいのではなく、もう足りていることに、静かに気づいたという感覚。
それは、何かを我慢することでも、欲を否定することでもありません。
ただ、力を抜いた、というだけなのだと思います。
自分で手に入れた感覚とは何か
誰かにもらったものではなく、自分で手に入れた感覚。
それは、お金や物そのものではありません。時間の使い方であり、心の余白であり、自分を信じる静かな感触です。派手に主張しなくてもいい。誰かに説明しなくてもいい。
でも、ちゃんと、ときめく。
それは、もう奪われない感覚でもあります。
声と文字を行き来しながら
このブログでは、スタンドFMで語りきれなかったこうした感覚の背景や、言葉になりにくい部分を、少しずつ書き残していこうと思います。
声で聴く物語と、文字で味わう余韻。その両方を行き来しながら、自分の感覚を
丁寧に確かめていく場所として。
それでは、
あなたの時間が、
ときめく瞬間で、
溢れすぎないくらいに
