ジェニーハイ「華奢なリップ」に惹かれる理由|苔のように夜へ沈む女性の感情 | 日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ

ジェニーハイ「華奢なリップ」に惹かれる理由|苔のように夜へ沈む女性の感情

皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。世間はクリスマスソングが流れ、年末への追い込みが始まっているような感覚は、私だけでしょうか。



街は華やかで、SNSには楽しげな写真が並び、「今年もあと少し」という言葉が、なぜか少しだけ胸を急かします。

やり残したこと、片付けきれなかった感情、ちゃんと終われていない自分。

そんな、少しだけ焦りを感じる現実から逃亡するように、私は ジェニーハイの華奢なリップ を、何度も繰り返し聴いています。


不思議なことに、この曲は背中を押してくれるわけでも、前向きな言葉をくれるわけでもありません。


それなのに、心が少しだけ落ち着く。

まるで「今はそれでいい」と、静かに許可をもらっているような感覚です。




この曲を作った 川谷絵音 さんは、

なぜここまで女性の心理や感情を、痛いほど正確にすくい上げられるのでしょうか。

それは、女性を「強い存在」や「可愛い存在」として一括りにせず、

揺らぎ続ける存在として描いているからだと感じます。

女性の感情は、悲しい・嬉しい・寂しい、そんな単純な言葉では整理できません。強がっている自分と、本当は泣きたい自分が同時に存在していたり、誰かに抱きしめてほしい気持ちと、一人でいたい気持ちが重なっていたり。「華奢なリップ」に描かれているのは、その矛盾を、解決しないまま抱えている女性の姿です。




リップを塗る、という行為ひとつ取ってもそうです。

それは、誰かに見せるための武装ではなく、立ち直るための儀式でもありません。

ただ、「まだ私はここにいる」「今日を終わらせる準備をしている」そんな、自分自身への静かな合図。

赤を塗れば、少し強くなった気がする。ピンクを選べば、まだ柔らかくいられる気がする。マットにすれば、大人として整った気がする。

——どれも確信ではなく、「気がする」止まり。

でも、その曖昧さこそが、

女性が夜をやり過ごすために、長い時間をかけて身につけてきた知恵なのだと思うのです。




年末という区切りの中で、

私たちは無意識に「今年の自分」を評価しがちです。

できたこと、できなかったこと。前に進めたかどうか。けれど、「華奢なリップ」を聴いていると、そんな採点表から、一度降りてもいい気がしてきます。



この曲に流れている感情は、激しい闇ではありません。

それは、光の当たらない場所で、

静かに湿度を保ちながら生きている——

苔のような感情です。

苔は、主張しません。

競いません。

けれど、影と水分の中で、確かに命をつないでいます。

夜に沈むことは、

失敗でも、後退でもありません。

それは、自分を壊さずに年を越すための選択なのかもしれません。




クリスマスソングが流れるこの季節に、

あえてこの曲を聴き続けてしまうのは、

きっと私だけではないはずです。

華やかな音の裏側で、

静かに沈みながらも、

ちゃんと生きている私たちの夜。

「華奢なリップ」は、

そんな夜を否定せず、

無理に照らさず、

ただ「そこにいていい」と置いてくれる曲なのだと思います。

浮かび上がれない夜があってもいい。

沈んだままの年末があってもいい。

私たちは、

そうやって何度も人生をつないできたのだから。