忘れられていなかった私と、止まっていた時間の時計
皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。
先日、16年ぶりに昔の友人に会ってきました。
大病を経験したと聞いていたので少し緊張していましたが、目の前の彼女は以前よりも柔らかく、澄んだ笑顔をしていました。時間を超えて戻ってきたというよりも、むしろ新しい光をまとってそこに立っているようでした。
正直、私は不安でした。
「もう覚えていないかもしれない」「マスクで顔も見えないし気づかれないかも」――そんな気持ちを抱えたまま再会の瞬間を迎えました。けれど彼女は、私の顔とネイルを交互に見つめて、あの頃と変わらない声でこう言ったのです。
「祈誉ちゃん、ゆうは元気?もう大きくなったでしょう。
それに、相変わらずネイル綺麗だね。」
たった一言で、胸の奥に張りつめていた16年間の緊張がふっと溶けました。息子のことも、私の小さなこだわりも、ちゃんと覚えていてくれた。その事実が、なにより嬉しく切なくて、気がつくと涙が滲んでいました。
すると彼女は少し驚いた表情をしながら、こんな言葉をかけてくれました。
「どうしたの?祈誉ちゃんって、いつも『私は大丈夫、強いのよ』って胸を張ってたじゃない。」
私は思わず息をのみました。
虚勢だったのに。弱さを見せるのが怖くて強いふりをしていただけなのに、彼女の目には“強さ”として映っていたことに、不思議な安心と、少しの恥ずかしさが入り混じりました。
――思えば、あの頃私たちは小さなすれ違いや誤解で言葉を閉ざし、距離ができてしまいました。
それでも彼女は、離れてからもメールをくれて、歩み寄ろうとしてくれていたのに、私は素直になれず、時間ばかりが過ぎていきました。
彼女の家の前を通るたびに胸がちくりとして、「どうしているんだろう」と思いながらも、その一歩が踏み出せなかった自分。けれど今、こうして目の前にいる彼女を前にして、止まっていた時計の針がゆっくりと、でも確かに動き始めた気がしました。
再会は、過去を帳消しにするためではなく、
今という時間を大切に生き直すためのチャンス。
忘れずにいてくれたこと。
変わらず名前を呼んでくれたこと。
そして、その一歩を踏み出す勇気を与えられたこと。
すべてに、心から感謝しています。
