『国宝』感想|血筋×才能×縁起――女性だから響く“人は国宝である”という真理 | 日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ

『国宝』感想|血筋×才能×縁起――女性だから響く“人は国宝である”という真理

皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。私は、今年のお盆は過去の関係性の整理と未来への切り替えの時間としてとても重要な時間になりました。


そんな慌ただしい時間でもレイトショーで今話題の国宝を観に行きました。横浜流星さんの涼しげな目元から溢れる色気が見事なんだろうと楽しみにしていましたが!横浜流星さんよりも吉沢亮さんの見事な女形に翻弄されました。




⭐︎女性視点

この映画を観て一番強く感じたのは、「人は生まれを選べないけれど、生き方は選べる」ということでした。

女性としては、子どもを授かる・育てる経験や、家族の関係の中で“血筋”や“受け継ぐもの”の重みを実感する瞬間が多いと思います。喜久雄と俊介の対照的な生い立ちは、私たち自身が「母から何を受け継ぎ、次の世代へ何を渡していくのか」を考えさせるものでした。血筋だけではなく、出会いや愛情によって人は変わっていく──その姿はとても希望を与えてくれます。


⭐︎遺伝学的視点

最新の研究では「遺伝子の影響は半分、残りは環境や選択で決まる」と言われます。映画の二人もまさにその通り。才能や気質は受け継がれたものであっても、誰と出会うか、どんな環境で育つかによって全く違う人生になる。これは子育てをしている女性にとって、とても勇気づけられる考え方です。「完璧な血筋や才能がなくても、愛情や環境が未来を形づくるのだ」と。


⭐︎スピリチュアル視点

二人の出会いは偶然ではなく“魂のご縁”。ライバルでありながら、お互いを高め合う存在として用意されていたように感じます。人間関係に悩む私たちも、時に“縁”の必然性を思うことがありますよね。嫌な出会いも、苦しい別れも、実は魂の成長のために用意された課題なのかもしれません。そう考えないと辛すぎる事も多々あります。


量子力学的視点

量子力学では「観測者の意識が結果を変える」と言われます。舞台に立つ役者が観客の拍手で輝きを増すように、私たちも周囲の人のまなざしや期待によって力を引き出されることがあります。逆に、認めてくれる人がいないと、自分の可能性すら見失ってしまうことも。人は人によって存在が確定する──この映画はそんな量子の真理を、芸の世界で体現していました。


仏教的視点

仏教の「縁起」の教えでは、人はすべての関係性の中で生かされていると説かれます。喜久雄や俊介の苦しみも歓喜も、すべては縁の網目の中で起こったこと。その一つひとつが芸を深め、人生を豊かにしていく。女性として日常を振り返ると、家族・友人・仕事・恋愛の中での小さな縁や出来事も、すべてが今の自分をつくっていると気づかされます。


映画「国宝」は、

  • 血筋や才能を超えて人は変われる(女性・母としての希望)

  • 遺伝と環境の交差が人生を形づける(子育てや自己成長の安心感)

  • 出会いは魂の契約(人間関係に意味を見出せる)

  • 他者のまなざしが存在を輝かせる(量子力学的な気づき)

  • 縁起の中で生きる(仏教的な安心感)

という多層的なテーマを、華やかな歌舞伎の舞台を通して描いた物語でした。

観終えた後には「私自身もまた国宝のように尊い存在なのだ」と思わせてくれるような心に深い余韻を残す作品でした。