年貢と税の構造は同じ?今こそ知りたい“国民が搾取される仕組み”の正体 | 日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ

年貢と税の構造は同じ?今こそ知りたい“国民が搾取される仕組み”の正体

皆様こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

梅雨空が戻ってきましたね。じめじめとした空気に、気分も少し憂鬱です。こんな時は読書がいいですね。

こんなときこそ、ゆったりと歴史を振り返ってみるのも悪くありません。今回は「国家の衰退と徴税の腐敗」についてお話ししてみたいと思います。





■崩壊の兆しは、目に見えにくいところに

国家が衰退するとき、戦争や災害のような劇的な出来事ばかりが原因ではありません。

もっと静かに、制度の根幹が崩れていくこともあります。

その一つが、「徴税の腐敗」です。

たとえば古代エジプト。地方の徴税役人が利権を独占し、庶民から過剰な税を取り立てるようになると、中央は財政の実態を把握できなくなり、国の統治力は弱体化していきました。

これはローマ帝国や中国の唐・明でも見られた現象です。民の信頼を失った国家は、内側から静かに崩れていきます。




■日本でも繰り返された「声なき不満」

日本でも同じような構図が繰り返されてきました。とくに江戸時代、年貢の負担は農民の生活を直撃し、不作でも容赦なく課されました。

こうした過酷な制度の中で生まれたのが「百姓一揆」です。

代表例として、信濃の磔茂左衛門の一揆(1738年)や、備中の大原騒動(1866年)などがありました。

一揆は単なる反乱ではなく、「生きるための嘆願」でもありました。多くは暴力ではなく、嘆願書という形で抗議を行い、日本人が古くから重んじてきた「和」の精神が根底にありました。




■名君・水戸光圀の裏の顔

「黄門様」で知られる水戸光圀も、その時代の矛盾と向き合っていた一人です。表向きは幕府に忠誠を尽くしつつ、藩内では一揆が頻発するほど年貢の圧政が続いていました。

光圀公が編纂を進めた『大日本史』は、天皇を中心とする国家観を掲げるものであり、これは後の「水戸学」へとつながります。




■水戸から始まった「思想の炎」

やがて、民の不満や矛盾を受け止めた水戸藩士たちの間に、「この国のあり方は本当にこれで良いのか」という問いが広がっていきます。

そして、水戸学から「尊王攘夷」という思想が生まれ、藤田東湖や会沢正志斎、さらには水戸浪士たちが登場。幕末の歴史を大きく動かす原動力となっていきました。




■そして現代へ――歴史が問いかけること

現代の日本では、年貢の代わりに私たちは税を納めています。SNSや報道を通じて、「少子化対策は十分か?」「増税の前に政治改革をすべきでは?」といった声が広がっています。

こうした不満や疑問は、単なる愚痴ではありません。制度への信頼が揺らぎ始めているサインです。かつての農民一揆と根底ではつながっているとも言えるでしょう。

歴史は語ります――

声を上げることを恐れるな。声が届かなくなる社会こそが危機だと。

過去を学び、今を問い、未来を選ぶ。

今がその時なんじゃないかな…。