「思考を転換すると、人生は深くなる」― 成熟という名の自由へ
皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。ナスが美味しい季節ですね。トマトの苗もずいぶん大きくなってきました。
昔は、美味しいレストランでの食事に幸せを感じていました。
今は、自分で育てた野菜を庭で収穫し、季節の空気を感じながら食べる一膳のごはんに、深い満足を覚えます。
かつては、人にどう見られるかを気にして、外見を整えることにエネルギーを使っていました。
今は、自分がどう感じるか、心地よくいられるかを大切にして、内面の充実に時間とエネルギーを注いでいます。
ようやく「人の瞳の中で生きない」という選択をできるようになってきました。
誰かの評価に怯えたり、他人の理想に合わせて生きることをやめ、自分の内側に耳を傾けます。
たとえ目立たなくても、たとえ理解されなくても、自分だけが感じる確かな手応えこそが、何よりの贅沢だと感じます。
そして、旅することの意味も変わりました。
旅はただの移動ではなく、地球という星が積み重ねてきた歴史や文化、美しさと痛みを全身で味わう、深い行為なのだと気づきました。
一杯の水のありがたさに感動したり、まったく異なる価値観と出会うことで、自分の小ささと広がりを実感するのです。
その過程で、「日本がすべてではない」という真実にも向き合いました。
この国で当たり前とされていることが、世界では通じない場面が数多くあります。
だからこそ、自分の思考を解き放ち、凝り固まった価値観から自由になるチャンスが、旅の中にはあるのです。
旅の途中で出会うカルチャーショックも、今では喜ばしい経験です。
価値観の違いに戸惑うたびに、自分という人間の枠が広がっていくのを感じます。
心の柔軟性が試されるその瞬間こそが、人としての深みや優しさを育ててくれるのです。
経験を重ねるたびに、生きる意味もまた深まっていきます。
知識や肩書きではなく、感受性や実感として積み上がった体験こそが、自分を支える土台になります。
そして、あるとき気づくのです。
かつては外見の美しさに憧れていたのに、今は誰かの生き様や佇まい、言葉の奥行きに心を惹かれている自分がいることに。
年齢を重ね、変化していくことは「劣化」ではありません。
それは「風格」や「成熟」へと進化する過程だと捉えられるようになりました。
しわや白髪の一本一本に、その人の物語が刻まれているように感じられます。
それこそが、時間をかけて育まれる「美しさ」なのだと思います。
昔は、常に何かを得ようと、成果を求めて走り続けていました。
今は、何も持たない時間や、静けさ、自然の音に耳を澄ませる余白こそが、本当の豊かさなのだと感じています。
思考を転換することで、同じ空の下でも世界の見え方は大きく変わります。
かつての「贅沢」は、外にあるものを手に入れることでした。
今の「贅沢」は、心の内側にあるものに気づき、それを慈しむことです。
誰かの瞳ではなく、自分自身の感覚で生きていくこと。
それが、何よりもしなやかで、自由で、幸せな人生だと思います。