【コラム3】第7回 「中途半端」が身の程知らずを生み出す
~「ルポ・誰が国語力を殺すのか」(石井光太著)より~
2022年に発刊された石井光太著の「ルポ・誰が国語力を殺すのか」。
この1冊で現在直面している「国語問題」というものを知り、そしてその解決の糸口を探ることが出来ることができる1冊ではないかと思われます。
今回は複数回にわたりこちらの著書を踏まえ、小生が長年国語教育で経験してきた出来事や考察を踏まえながらお話していきたいと思います。
こちらの【コラム3】にてある程度の「国語力の回復」につながる提案をさせて頂きたいと思いますので、是非最後までお付き合い頂きたく存じ上げます。
こちらは【オンライン・国語専門塾】エリート学院四ッ谷の記事です。
【コラム3】第7回 「中途半端」さが身の程知らずを生み出す
1脱ゆとり教育の現在(学校教育において)
同著『ルポ誰が国語力を殺すのか』において、脱「ゆとり」教育の現況として2人の教員の言葉が挙げられている。
ゆとり教育が撤廃されたことで教科の授業時間が増えたのは事実ですが、そこに新しい指導が次から次に上乗せされることになりました。
(中略)
これでは生徒たちに基礎的な国語力をつける時間がぜんぜん足りません。(略)あれもこれも抱えさせられて、すべて中途半端といった感じです。
だから、今の生徒たちはそれらの表面的なことだけ知ってすべてわかった気になって、深く考えようとしない。国語力を育成するという意味では真逆のことが起きているように思えます。
(公立中学・国語科教員)
(同著98頁)
うちの高校(県内2番目にレベルの高い高校)でも国語力がそれなりにあると感じるのは二~三割くらいです。それ以外の生徒は、文章を読んだり、きちんとした言葉で物事を考えたりする能力がびっくりするくらい低い。
(中略)
私立でこうなら、公立ではどうなるのか。これじゃ、想像したり、読み取ったりする力がつくわけがないですよ。
今の世の中怖いのは、そういう生徒でも一流大学に進学できてしまうことです。(略)英語も同じです。英語の文章って、六大学レベルの試験でも日本語に変換すれば、小中学生でも読めるような平易な内容です。英作文や英語面接なんか小学生レベルの内容で十分。(略)一流大学でも英語と面接だけなんてところもあるので、国語力があまり重要視されていないのです。
(私立高校・国語科教員)
(同著100-101頁)
「表面的なことだけ知ってすべてわかった気になって、深く考えようとしない」生徒でも、英語と面接だけで一流大学に進学できてしまう。確かに「今の世の中怖い」と感じてしまうのは当然であろう。
前述の国語科教員の言葉を受け、次の2点に絞って考察を重ねて行きたい。
1.すべて中途半端であるにも関わらず、表面的なことだけ知ってすべてわかった気になって、深く考えようとしない点。
2.今の世の中、文章を読んだり、きちんとした言葉で物事を考えたりする能力がびっくりするくらい低い生徒でも大学に進学できてしまう点。
2 「すべて中途半端」……表面的学習の弊害
すべて中途半端であるにも関わらず、表面的なことだけ知ってすべてわかった気になって、深く考えようとしない
教員は「ゆとり教育が撤廃されたことで」「そこに新しい指導が次から次に上乗せされることになり」、「生徒たちに基礎的な国語力をつける時間がぜんぜん足り」ないことを「すべて中途半端」だと嘆息しているが、
この「すべて中途半端」のが原因が脱「ゆとり」教育の弊害かどうかは小生には分からない。
ただ確かなことは、脱「ゆとり」と呼ばれる現在でも為すことすべてが「中途半端」な生徒が非常に多いとということだ。
これは本人の「性格」に要因があるのも事実であるが、結果としてこの「中途半端」さが学力向上の大きな妨げになっていることも事実である。
このような生徒は総じて「学習習慣」が身に付いておらず、結果上記教員のおっしゃるよう「表面的なことだけ知ってすべてわかった気になって、深く考えようとしない」傾向が非常に強い。
これは小生が警鐘を鳴らしている「クイズ的瞬発力」ばかりを重視する教育の結果であり、また(「論理思考能力」を育て、広い視野で物事を捉え、身につけた知識を他の知識へと活かす)時間をかけて考える「思考力」の軽視の結果ではないかと考えている。
もし学力向上が見込めない状況であるなら、次の2点、
①「クイズ的瞬発力」ばかりを重視している
② 時間をかけて考える「思考力」を軽視している
にお心当たりがあるのではないでしょうか?
そして、それが「いつ」からなのか?それが「学力の分岐点」となっているのではないでしょうか?
3 誰もが難関大学に進学できるわけではない……身の程知らず受験スタイル
今の世の中、文章を読んだり、きちんとした言葉で物事を考えたりする能力がびっくりするくらい低い生徒でも大学に進学できてしまう
大学全入時代の現在、かつては「高学歴」とも言われたような大学でさえも、入学試験は平易化し、推薦入試等の方法を用いて容易に入学できるようになったのは確かである。
しかし、直接生徒を個別に指導している中で、所謂「難関大学」に誰もが入れるようになったとは決して言い難い。
むしろ、「誰もが「難関大学」を目指すようになった」という方が正確ではないだろうか。
かつては身の程をわきまえ、実力相応の大学に、プラス挑戦校を習うという受験スタイルが一般であったが、
近年顕著に現れているのが「身の程知らず」の受験スタイルである。
具体的に申し上げると、
〈偏差値30~40台で「早慶」を目指す(というより合格できるものだと錯覚している)〉
いや、謙虚に、
〈偏差値30~40台で「MARCH・関関同立」を目指す(というより合格できるものだと錯覚している)〉
第1志望:早稲田大学(どの学部でも)
第2志望:明治大学か立教大学
第3志望:法政大学(MARCHの中で入りやすそうだから)
第4志望:東洋大学(日東駒専の中で賢そうだから)
第5志望:滑り止めは後から「大東亜帝国」のなかから選ぼう
このパターンで合格した生徒はほぼ見当たらない、「全滅」パターンの方程式である。
4 結果、解決法は「国語力」にあり
ではどうすればよいか?
「中途半端」な学習習慣も「身の程知らず」の受験スタイルも共通して言えることは、時間をかけた「思考力」の養成の軽視にあるように思えてならない。
「客観的に考える力」があれば乗り越えられるものの一つであるにも関わらず、その「客観性」を見失っているために「自分の現在」が分からず迷い込んでしまっている。
迷路は鳥瞰すれば分かるのと同じように、自身の迷いも客観的に見ることで様々な判断が可能となる。
その力こそが「国語力」なのである。
「国語力」とは、時間をかけて考える「思考力」の養成であり、その「論理思考能力」を育て、広い視野で物事を捉え、身につけた知識を他の知識へと活かすことである。
「クイズ的瞬発力」ももちろん必要であるが、
本当に出来る生徒この「思考力」、すなわち「広い視野で物事を捉え、身につけた知識を他の知識へと活かす」方法を知っている生徒であることは間違いないであろう。
5 次回は……
次回のコラムでは、同じく「ルポ誰が国語力を殺すのか」の中から気になる指摘を取り上げ、考察していきたいと思います。
引き続きお付き合い頂きますと幸いです。
最後までありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。
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