【コラム3】第1回 子どもの珍回答は笑い事ではない!
~「ルポ・誰が国語力を殺すのか」(石井光太著)より~
2022年に発刊された石井光太著の「ルポ・誰が国語力を殺すのか」。
この1冊で現在直面している「国語問題」というものを知り、そしてその解決の糸口を探ることが出来ることができる1冊ではないかと思われます。
今回は複数回にわたりこちらの著書を踏まえ、小生が長年国語教育で経験してきた出来事や考察を踏まえながらお話していきたいと思います。
こちらの【コラム3】にてある程度の「国語力の回復」につながる提案をさせて頂きたいと思いますので、是非最後までお付き合い頂きたく存じ上げます。
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【コラム3】第1回 子どもの珍回答は笑い事ではない!
1『ごんぎつね』が読めない小学生たち ~『ごんぎつね』のあらすじ~
同著の序章に『ごんぎつね』が読めない小学生たちが取り上げられている。
『ごんぎつね』と言えば新美南吉作の有名な「物語」で、昔から現在に至るまで多くの小学校の教科書にも掲載されているので、ストーリーは忘れたものの、作品のタイトル『ごんぎつね』ぐらいは記憶にあるのではないでしょうか?
ここで簡単に新美南吉作『ごんぎつね』のストーリーをご紹介いたしましょう。
①いたずら好きの「ごん」という狐(きつね)。村人兵十の獲った魚を逃がす。
②ある日兵十の家で母親の葬儀が行われていた。ごんが逃がした魚は兵十が病気の母親に食べさすものだと「ごん」はそのとき始めて知った。
③反省した「ごん」は内緒で毎日獲った食べ物を兵十の家に届けるが、兵十は知らずにごんを銃で撃つ。
④だがそれが「ごん」の行為だと知り、兵十はその場に立ちすくむ……。
というお話です。思い出された方もいらっしゃるでしょう。
2『ごんぎつね』が読めない小学生たち ~「死体を煮る」???!!!~
同著が問題にしているのは、上記②の「ある日兵十の家で母親の葬儀が行われていた」シーンである。
そこには原書『ごんぎつね』では次のように描写されている。
よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐずにえていました。
ここで、同著著者である石井光太氏が、講演に訪れた小学校4年生のクラスでの「話し合い」の様子が紹介されている。
それが次のような発言である。
「この話の場面は、死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところだと思います」
「私たちの班は意見は違います。(中略)昔はお墓がなかったので、死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」
「うちの班も同じです。死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたんだと思います」
どうやら8つの班のうち、5つの班が話し合った結論として「死体を煮る」と答えたらしい。
3「読解力以前の基礎的な能力」の欠如の〝ツケ〟
「葬儀で村の女性たちが正装して力を合わせて大きな鍋で何かを煮ていることから、常識的に読めば、参列者にふるまう食事を用意している場面だと想像できるはずだ」(同著・10頁)
その常識が通じなくなってきている。
同著著者の石井光太氏が訪れた小学校の校長(長年国語を専門とされてこられた先生)が次のようにおっしゃっています。
母親の死体を煮ているというのは(中略)単なる読み間違えではありません。
こうした子どもたちに何が欠けているのかといえば、読解力以前の基礎的な能力なのです。
登場人物の気持ちを想像するとか、別のことと結びつけて想像する力とか、物語の背景を思い描く力などです。
(中略)
それらの力が不足しているから、常識に照らし合わせばとんでもない発想をしているのに気づかず(中略)読解力の有無ですましてならないことだと思うのです。
こちらの校長がおっしゃる通り「読解力以前の基礎的な能力」がない子どもたちが増えている。
これは小学生のみならず高校生になっても「読解力以前の基礎的な能力」がない子どもたちが多くいる。
例えば、
ヨーロッパの下にアメリカ大陸がある
英語の「英」はどこの国か分からない
明治時代の前は戦国時代である
日本の「大統領」はだれか知らない
日本は社会主義国家である
と高校生が「何の罪の意識間なしに」そう答える。
この珍回答レベルの学生が「大学」受験を志す(しかもMARCH以上の難関大学を)。
そう、まさしく「大学全入時代」の大弊害である。
その「読解力以前の基礎的な能力」が小学生時代から蓄積してこなかった〝ツケ〟が、最終的には大学受験で直面するのです。
4
同著の序章に『ごんぎつね』が読めない小学生たちが取り上げられ「個性を否定してはいけない」学校教育ていますが、ここで私が気になったのは「班の話し合い」です。
8つの班のうち、5つの班が話し合った結論として「死体を煮る」と答えたらしいのですが、
この「班の話し合い」が一つ大きな問題点ではないかと私は考えています。
班で話し合い意見を出し合うことは大切なことです。
しかし、その答えを「個性として尊重」しなければならない。
すなわち「否定してはいけない」のが現在の学校教育です。
「この話の場面は、死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところだと思います」
「そうだね~、そのアイデア、素晴らしいと思うよ!(以上)」
もちろん、「個性の抹殺」「正解の強要」はあってはならないものです。
しかし、「この場面はね……」と正しい「解」に導くのが「教育(=教え育む)」ではないでしょうか?
ディベート(討論)の授業はとても大切なことです。
しかし、どうやら生徒さんからの情報によると、「話し合って終わり」というのがほとんどなのです。
ディベート(討論)から「結論」や「提案」につながる正しい授業を行っていれば、「小論文」入試対策も苦労せずに取り組むことが出来るのにと思われてなりません。
5「個性を否定してはいけない」は学校だけではない
答えを「個性として尊重」しなければならない。すなわち「否定してはいけない」のが現在の学校教育
と申し上げましたが、
実は「個性として尊重」しなければならず「否定してはいけない」というのがマニュアル化している「塾(主に個別指導塾)」や「家庭教師」が多く存在しています。
もちろんしっかりと「受験対策」や「定期テスト対策」をなされている塾や先生も多くございますが、
「生徒を否定してはいけない!」「大げさなぐらいに褒めちぎりましょう!」というマニュアルの塾も多いのも現実です。
なぜでしょうか?
簡単です。
生徒さんに〝いい気分〟になってもらい「退塾を防ぐ(退塾防止)」ためです。
集団塾でも同様の現象がみられる塾もございます。
その多くが「学級崩壊している塾」です。
特に小学生対象の塾で授業中トイレに行きたがる子が多い塾、
私語が絶えず崩壊状態になっている塾にお通いの保護者様、
お金をドブに捨てているか、塾への〝お布施〟状態になっていると思いますよ。
6 次回は「登場人物の気持ちが読めない」について
同著著者の石井光太氏が訪れた小学校の校長が
「登場人物の気持ちを想像するとか、別のことと結びつけて想像する力とか、物語の背景を思い描く力」の欠如
をおっしゃっていますが、
次回のコラムではこの「登場人物の気持ちを想像できない」子どもたちについてお話させて頂きたいと思います。
物語・小説読解のヒントにもなるかと思いますので、引き続きお付き合い頂きますと幸いです。
最後までありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。
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