昨夜、24時間テレビで「今日の日はさようなら」を見ました。
脳出血で涙腺弱くなった私は、涙しながら見てた訳ですが、涙と同時
に、病気でいじけてしまった馬鹿な私は、「ガンで余命がはっきりして
しまうのと、再発を恐れながら不自由な身体で、シビレと戦いながら
生きるのではどちらがいいのだろう?」と考えてました。
私的には無い物ねだりで、余命限られても、残りの人生で好きな所へ
行って好きな物を食べ、この世の”生”を甘受出来る方が良いのでは?
と考えてしまう訳です。
なんせ、きついシビレを有する片麻痺の不自由な私は、行きたい所に
も行けず、舌自体も半分しか感覚がなく自由に動かない事から、好き
だった辛い食べ物も、アツアツの鍋ものも食べられなく。。。
そんな制約ある”生”では、残りの人生、”生”に悔いなく生きる事なん
て望むべくもなく。。。(;_:)
でも余命限られた人にすれば、可能性を見いだせるだけ良い!と言わ
れるのでしょう?
そんな事を考えると、それこそ『表と裏の区別をつけることの出来ない
メビウスの輪』的に、私の心の中で、堂々巡りをしてました。
そして、、、
身体不自由な私は、無い物ねだりの”五体満足で限られた生”を望ん
でしまうのでした。(^_^;)
二度と五体満足なんて望めないのに。。。