『独眼竜政宗』第12回「輝宗無残」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

今回は『独眼竜政宗』の中でも屈指のエピソード。
中でも、輝宗と政宗、親子水入らずの場面が一番の見所です。

政宗「数々のご無礼はお赦し下さいませ。さぞご不快の事と存じます」
輝宗「確かに腹は立った。たとえ家督は譲ったにせよ僅か十九の若造が小癪にも父を蔑ろにし思いのままに振る舞うのは忌々しかった」
政宗「申し訳ござりません」
輝宗「だが、お前の思い通りに事は運び、義継は屈服した。(笑)目出度い限りじゃ」


輝宗「お前は奥州の覇者になると言うたな」
政宗「申しました」
輝宗「天下を目指すと言うたな」
政宗「はい」
輝宗「ひょっとすると夢ではないかもしれん。儂と異なりお前には常軌を逸した狂おしさがある。得体のしれぬ恐ろしさがある。まるで織田信長のような」
政宗「…」
輝宗「思えば、疱瘡で右目を失って以来、人前に出るのも恥じる子供だった。先行きは如何相成るかと案じるほど気弱なお前だった。今はどうしてどうして。いつの間にこうも猛々しい男になったのか。末恐ろしくもあり楽しみでもある」
政宗「…」
輝宗「察するに、これは最上の血であろう。母上に礼を申すが良いぞ」
政宗「政宗は伊達家の末裔にござります」
輝宗「そこへ最上の血が入って恐るべき駻馬が誕生した。駻馬は手綱の捌きようで名馬になる」
政宗「褒められているのか、貶されているのか」
輝宗「今は褒めていると思え」
政宗「ありがたき幸せ」
(笑)


輝宗「思う存分に暴れて天下を揺るがす男になれ。儂は果たせなかった夢をお前に託す。今後は要らざる口出しをすまい」
政宗「いえ、何かとご鞭撻のほど承りたいと存じます」
輝宗「心にも無いことを申すな。…飲め」
政宗「は。…父上、政宗の心中は千千に乱れております」
輝宗「ん?」
政宗「家臣の前では思い上がった物言い、人も無げなる振る舞いを致しますが、一人になれば己を顧みて恥じ、慢心はないか、過ちを犯してはいないか、苦しみ悩んで悶々と夜を明かすこともござります」
輝宗「それで良い。煩悩に苦しむのが人の人たる所以じゃ。されど、武士たる者は濫りに胸の内を見せてはならん」
政宗「父上、虎哉和尚は慈悲の心を持てと申されました。慈悲の心無くしては人の上には立てんと。しかし、慈悲を以ってすれば戦には勝てません。奥州を束ねる武将にはなれません」
輝宗「儂にも思い当たる事がある」
政宗「は?」
輝宗「俄かにこの歳で隠居し、お前に家督を譲ったのは何故か」
政宗「家臣の分裂を防ぐためでござります」
輝宗「それもある。だが、儂の手で奥州を平定する事は到底叶わぬと諦めたせいもある」
政宗「…」
輝宗「考えてもみよ。相馬も岩城も儂とは従兄弟どうし。佐竹と二階堂は義理の兄弟。石川昭光は実の弟。葦名の亀王丸は妹の子。そして最上は妻の里じゃ。骨肉相争う事はあっても息の根を止めるまでには至らん。情が絡んで思うようにならん」
政宗「父上はお優しゅうござります」
輝宗「そこで代が変われば、多少は血の繋がりも薄くなろう。上方の武将の如く完膚無きまでに敵を討つ事ができる」
政宗「!…恐れ入りました。そこまでお考えとは政宗露知らず」


輝宗「梵天丸…藤次郎…政宗…」
政宗「はい」
輝宗「今宵は何故か嬉しい。嬉しゅうてならんわ。儂は長生きをするぞ。長生きをして、お前の行く末をしかと見届けたい」
政宗「いつまでもご健勝にあらせられませ。政宗は必ず京へ上り、天下を獲ってご覧に入れまする」
輝宗「…その心意気を忘れるな」
政宗「はい」
輝宗「…よいか、敵の強きを見て恐れてはならん。敵の弱きを見て侮ってはならん」
政宗「心得ました」
輝宗「…(涙)さ、飲め」


何も言うことはありません。
自らの分身たる血のつながった親子だからこそできる腹を割った会話です。
下手な感想はかえって感動を損なうだけでしょう。
 

しかし…

後日輝宗は、自らの城を訪れた二本松の畠山義継により拉致されます。

 

留守政景「止まれ義継!それが武士のすることか!」
畠山義継「政宗が我らを追い詰めたのだ!」
伊達勢「大殿!」
畠山勢「寄るな!寄るな!」

 

畠山勢は輝宗を二本松城へ連れ去ろうとしています。

 

義継「寄らば輝宗を斬るぞ!」

輝宗「成実!」

伊達成実「ご安心くださりませ!義継の思い通りにはさせません!」

輝宗「政景、儂を撃て!」

政景「兄上!今暫くの辛抱でございます!」

 

政宗到着

 

政宗「おのれ義継!何の真似じゃ!」

義継「政宗か!見ての通りじゃ!」

政宗「父上ぇ…」

輝宗「無念じゃ…輝宗一生の不覚…」

義継「命を取るとはいわん。おとなしく此処を通すがよい」

政宗「くっそぉ…」

輝宗「構わん!義継を討ち取れ!」

片倉小十郎「なりませぬ!」

義継「通すのか通さんのか!」

政宗「義継ぅ、このままでは済まんぞぉ」

義継「百も承知じゃ!輝宗殿に孝養を尽くすのなら直ちに陣を退け!」

小十郎「道を開けーい!」

政宗「…何たること…」

成実「お許し下され。成実の不手際じゃ」

小十郎「この場は致し方ござらん。後の手立てを考えねば」

政宗「きぅっっ…」

輝宗「何を迷うているのだ!父を顧みて伊達の家名を汚すな!」

政宗「!」

政景「短慮は、なりません」

政宗「…打つ手はないのか。これでは何もかも…。余りにも無様だ。無様すぎるっ」

 

両勢は睨み合ったまま二本松領との境目にあたる河畔に到着。

 

畠山勢「(舟を)出せーい!」

輝宗「政宗ぇーっ!伊達の棟梁はそなたじゃあーっ!このままでは末代までの恥だぞぉーっ!」

政宗「…」

輝宗「政宗ぇーっ!天下を獲りとうないのかぁーっ!」

政宗「……………………………………………鉄砲隊!」

小十郎「殿!」

政宗「構え!構え!」

鉄砲隊、射撃体勢。

政宗「撃て!撃て!」

射撃。

政宗「撃て撃てぇーっ!撃てえーっ!撃て撃てぇーっ!」

義継「気は確かか…政宗…っ(被弾)」

輝宗「ここじゃぁーっ!儂を撃てぇーっ!」

義継、輝宗を斬殺。

政宗「うわあーっ!」

伊達勢が突撃、畠山勢を掃討。

 

政宗は即日輝宗の弔い合戦を指示しますが、側近に窘(たしな)められ後日とします。


鬼庭左月「大殿にあらせられましては必ずや我らが守り神となり、二本松をば討たせて下さりましょうぞ」

一方、二本松では、

二本松の綾御前「南無八幡大菩薩、我に悪逆非道の政宗を討たせ給えよかし」

そうです。

戦国の世の戦とはそういうものだったのでしょう。
いわば正義対正義、悪対悪。
愛のためとか泰平の世を作るためとか、決してそんなものではなかったでしょう。

※畠山義継(はたけやまよしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。畠山氏第9代当主。二本松城主。天文21年(1552年)、第8代義国の嫡男として生まれる。天正13年(1585年)、伊達政宗が岳父・田村清顕と共に大内定綱を攻めると、定綱と姻戚関係にあった義継も政宗から攻撃を受けた。義継は政宗に降伏を申し出たが政宗は許さず、二本松付近のわずかな土地を除いて所領をことごとく没収し、大名としての地位を維持できない状況にまで追い込もうとした。この条件は政宗の父で隠居の輝宗や伊達成実らの斡旋で緩和されたものの、政宗を深く恨んだ義継は、宮森城に居た輝宗の許へ参上した際に、輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとしたが、途中の高田原で政宗に追いつかれ輝宗もろとも射殺された(粟ノ巣の変)。享年34。義継の遺体は斬り刻まれ、その上、藤蔓で繋ぎ合わせて無残に吊るされたという。(Wikipediaより)