伊達家に次男竺丸(のちの小次郎)が誕生しました。
弟ができた梵天丸は母を取られてむしゃくしゃしているようです。
喜多「若様、人の上に立つお方は下々の者に慈悲の心を示さなければなりませぬ。行方知れずの鷹を探せとはもってのほか。無理難題でございます。」
梵天丸「和尚様も梵天に無理難題を申したではないか」
喜多「あれは禅の修行。若様を鍛えてさしあげるためでございます」
梵天丸「梵天も家来を鍛えているのじゃ」
どこかの小物上司が言いそうな台詞ですが、言うことが大人じみているのは流石です。
竺丸は母お東の愛を一身に受けて育ちます。
輝宗「そなた、梵天よりお竺が可愛いのか」
お東「滅相もございません。梵天もわが子、竺丸もわが子。同様に愛しいからこそ器に合わせて育てたいのでございます」
輝宗「世継ぎは梵天丸だ。竺丸は国分にやると決めておる」
お東「なんというむごい仕打ち。どうか、どうか思い直して下さりませ。お竺まで取り上げられては立つ瀬がございませぬ。途方にくれまする」
確かに母親に対しては酷い仕打ちながら、戦国時代ではこれが当然の武将の道なのでしょう。
さて、梵天丸は元服して名を藤次郎政宗と改め、伊達の嫡男としての修行を始めることになりました。
演者も交代です。
晴宗(病床で)「政宗、父母に孝養を尽くすのじゃぞ」
政宗「はい」
輝宗「父上、お許し下され。輝宗は不孝な倅でございました」
後に政宗も、母にも父にも不孝な倅になってしまいます。
実に悲しい。哀しい場面です。
虎哉「若、本日よりこの虎哉は若を大人に扱いまする。大人への拳槌は厳しゅうござるぞ」
藤次郎「分かりました」
虎哉「何が分かったのだ」
藤次郎「…」
虎哉「そう簡単に分かってはならん。若はもっとへそ曲がりにならっしゃい。」
藤次郎「へそ曲がり?」
虎哉「(藤次郎の頬をつねり)どうじゃ痛いか」
藤次郎「うっ」
虎哉「痛かったら痛うないと言わっしゃい」
藤次郎「い、痛うない」
虎哉「痛うなかったら痛いと言わんか」
藤次郎「痛い」
虎哉「どうじゃ、わしが憎いか」
藤次郎「憎うない」
虎哉「ふふふ、それでよし。泣きたい時には笑う。暑い折には寒いと言い、寒い折には暑いと言う。これが、へそ曲がり術の極意じゃ。ふふふ…ははは…」
深いですね。
簡単に感情をさらけ出す子供じみたふるまいが目立つ昨今の大河ドラマの主人公に聞かせてやりたいものです。
藤次郎「や、止めよ左月。小十郎のせいではありません。私が落ちたのです」
よく言った藤次郎。
お東「もうよい。藤次郎は諦めた。そのかわり、お竺は離さぬ。私の側から離しはせぬ」
えぇ~。二人同じじゃなかったの。諦めないで。
藤次郎「…喜多、田村の姫は私の目のことを知っておるのか?」
いささか女々しさを残しながらも、あなたの産んだ伊達の嫡男は、立派な武将に育ちつつありますよ。