『八重の桜』第25回「白虎隊出陣」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

最前線での戦闘シーンは最小限に抑えながらも
決戦前夜の城下と城内における緊張感が
よく伝わってきました。

みな怖いに違いない。
みな恐ろしいに違いない。

それでもなお、老若男女みな勇気を奮い起こして
命を賭して戦場に、戦いに身を投じていきました。

大切なものを守るために。
武家の人間としての、そして人としての、誇りのために。

またそれは、
会津や長岡、二本松など列藩同盟側だけでなく
はからずも新政府軍となった
越中や加賀の武士たちも同じだったでしょう。

先週に引き続き、いい出来でした。

戦は好かんの嫌でございますのと軽々しく声に出して言う
人が、制作者にも出演者にもいないことの証です。

幕末から80年にも及ぶ戦争の時代をとおして
この国を守ってきたご先祖さまを持つ民族の末裔としては
彼らを辱めたり自虐することは慎まなければなりません。

東北大震災の前には、
こういうのは苦手だという視聴者が大多数だったと思いますが

時代が変わった。

『八重の桜』は東北復興支援の大河ドラマだと言うが実は
日本人の大和魂の復興を支援する大河ドラマだった。

そう思いたい。

※白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には15歳と13歳の少年も加わっていた。幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊、幼少隊などがある。隊は士中隊、寄合隊、足軽隊から成り、充足数はおよそ340名程度とされた。装備していた火器は火縄銃よりはましというレベルであり、新政府軍の装備に対して著しく劣っていた。会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守すべく、若松へと至る街道口に主力部隊を展開させて防備に努めたが、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対し劣勢は否めず、本来城下防衛の任に当たるべく組織された白虎隊も、これを支援する形で前線へと進軍した。しかし、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、最精鋭とされた士中隊も撤退を余儀なくされた。このうち、士中二番隊は戸ノ口原の戦いで決定的打撃を受けて潰走し、戦死者も少なからずあり、8月23日に負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた。このとき、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を目にし、結果総勢20名が自刃を決行し、一命を取り留めた飯沼貞吉を除く19名が死亡した。一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して悲観したとされている。一方、飯沼が生前に伝え残した史料によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、城が焼け落ちていないことを知りながらも飯盛山で自刃を決行したという。途中はぐれた庄田保鉄らはその後、鶴ヶ城に入城し、士中一番隊の生存者と共に白虎士中合同隊となって西本丸を守った。籠城戦は1か月続いたが、最終的に会津藩は降伏した。(Wikipediaより)