『八重の桜』第21回「敗戦の責任」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

これまで様子見を決め込んでいた諸藩は、
薩摩軍の強さと幕府軍の弱さと錦の御旗の出現を知らされ
次々と新政府に恭順していきました。

加賀藩もそのひとつだったようです。

さて、

今年の大河ドラマでは
鳥羽伏見の戦いが二週に渡って丁寧に描かれました。

戦闘シーンも主人公に近い人々の死に様も克明に描かれました。

なかなかの迫力でした。

それにしても、

マゲを結った武士たちが鉄砲や大砲にやられていくシーンというのは
非常に殺伐としたものを感じますね。

『平清盛』で描かれた一騎打ちの美とは対極をなすものです。

つまりは、美しくない。

そう思います。

※前田慶寧(まえだよしやす)は、加賀藩の第13代(最後の)藩主。第12代藩主前田斉泰(なりやす)の長男。元治元年(1864年)、斉泰に代わり上洛し御所の警備に当たっていたが、禁門の変に無様にも敗れ御所の警備を放棄し退京した。怒った斉泰は慶寧を謹慎させ、さらに家老の松平康正(大弐)と藩士の大野木仲三郎に切腹を命じている。斉泰はこれを契機に、城代家老の本多政均(本多正信の子孫)と協力して、慶寧と親密な関係にあった尊皇攘夷派の武士たちを、徹底的に弾圧した。慶応2年(1866年)、斉泰は慶寧に家督を譲って隠居したが、実権は相変わらず握った。斉泰は加賀藩を薩摩藩や長州藩のような国政に関わる重要な立場に置くべく裏工作に専念した。しかし、尊皇派の藩士を弾圧してしまったことで有能な尊王藩士がおらず、他藩に遅れを取った。さらに本多政均が明治2年に暗殺されるなどもあって、裏工作は実らず失敗に終わった。加賀藩は戊辰戦争では新政府軍に味方している。慶寧は明治7年45歳で、斉泰は明治17年74歳で死去した。(Wikipediaより)