二・二六事件から77年。
二・二六事件といえば五代目柳家小さんが巻き込まれたことでも有名ですね。
事件の最中、反乱軍の中で演じた『子ほめ』は、
小さんの生涯で唯一「受けなかった」落語だったそうです。
小さん「そりゃそうです。演っている方だって、ちっとも面白くないんだから」
その小さんの落語に対する名言
小さん「やっぱり心が汚れていると、出てくるものがみんな汚くなっちまう。
ずるいやつはずるい噺になる。
生意気なやつは生意気な噺になる。
卑しいやつは卑しい芯のない噺になってくる。
だから、全部噺の上に出てくるんだから、
心は清廉潔白でなくちゃいけない」
人間国宝にでもならなきゃなかなか言えませんね、こんなセリフ。
※二・二六事件(にーにーろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、陸軍青年将校らが1483名の兵を率いて起こしたクーデター未遂事件。大日本帝国陸軍内の一部青年将校ら(20歳代の隊付の大尉から少尉が中心)は、「昭和維新・尊皇討奸」の考えの下、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起した。彼らは、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、岡田啓介(内閣総理大臣)、鈴木貫太郎(侍従長)、斎藤實(内大臣)、高橋是清(大蔵大臣)、渡辺錠太郎(陸軍教育総監)、牧野伸顕(前内大臣)の殺害を図り、斎藤内大臣、高橋蔵相、及び渡辺教育総監を殺害。その上で、軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降した。
なお、歩兵第3連隊の機関銃隊に所属していて反乱に参加させられてしまった者に小林盛夫二等兵(落語家。後の人間国宝・5代目柳家小さん。当時は前座)がいる。当日は未明に起こされ、実弾を渡され、真相を知らされず、警視庁を占拠する。午後にはクーデターだと知る。2月28日に食糧が届かなくなり、天皇の命令により鎮圧部隊が派遣された。反乱軍は混乱し、沈鬱なムードになる。上官命令で落語を一席演じたが、極度に緊張している兵士達は誰も笑わなかった。小さん「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから」(Wikipediaより)