大相撲古今ケタはずれ物語<鉄人>「吉井山朋一郎」 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

 昭和三十三年十二月のことである。はじめての福岡準本場所を打ち上げたあと、大相撲はいくつかの組合別に分かれて巡業したが、出羽海一門の一行は、栃光の郷里である熊本県天草で巡業した。
 盛況のうちに天草巡業を打ち上げた一行は、天草の波止場で九州本土への船を待っていたが、船が来る時刻までたっぷり一時間ある。退屈まぎれに、いたずら者で通る出羽錦が、例によってイタズラを考え出した。
 沖をみると、800㍍ほど向こうに舟を出して釣りをしている人影がある。それを指してこういったものだ。「おい、だれでもいい、あそこまで泳いでいったら三千円出すぞ!」
 十二月、しかも、どんより曇って非常にハダ寒い日とあって、さすがハダカできたえたもさ達も、海中にちょっと足をつけるだけでぶるぶるっと身ぶるいが出る。たいていはあっさりあきらめたが……そうはいかない力士がたった一人……。「わしがやりましょう」
 名乗り出た男こそ、わが吉井山。当時立派な幕内のお関取だ。ケガしたり、カゼひいたりしてはと、親方衆がとめるのもかまわず、ざんぶとばかり飛び込んで、水中の人となると、ゆうゆう平泳ぎで突っ走り、みんながハラハラしているのにもおかまいなく、1マイル(1600㍍)がところ、あっさり往復してきた。
 そして、船に乗る。ふとみると、とった魚をいれるオケに、氷がいっぱいいはいっている。小ヒザをたたいた出羽錦、シオをたくさん持ってきて氷の中にいれてかき回した。
 ご存知の通り、氷とシオをまぜると、ぐんぐん温度が下がってくる。零下10度くらいにはなったろう。(氷77.6%に、シオ22.4%の割合でまぜると、マイナス21.2度まで下がるという)
「これに5分間手をいれていたら、五千円!」みんな手をいれてみるのだが、5分どころか10秒ともたない。手をムラサキ色にし、悲鳴をあげて出してしまう。こんどは大丈夫……ニタリと笑った出羽錦の顔が緊張したのは、吉井山がおもむろに手を差し込んだときだ。
 吉井山大人(たいじん)、顔色一つ変えずに2分、3分とやっている。大あわてにあわてた出羽錦が、このうえ金を取られちゃかなわんと、5分になってもまだ3分と、時間をごまかしたが、吉井山はそんなことにはとんちゃくなく、とうとう8分間も入れて完了した。
 そして、いうには「出羽関!意外と簡単ですね」
 舞台はかわり……九州巡業から帰ってきたある日、吉井山が出羽海部屋の昼のちゃんこでどんぶりに七杯ほど食べまくった。「ああ、腹がはった、もう動けない」吉井山が一言もらすと、これを聞いて、内心“しめた!”とほくそ笑んだのが出羽錦だった。長崎のカタキを江戸でうとうというわけだ。
「おい、吉井!いま一升(1.8㍑)の水を飲んだら、千円出すぜ」「ごっつぁんです。飲みましょう」一升ビンに水をいれさせると、またたくうち、ほんの二息ほどで飲みほした。
 頭へきた出羽錦が、ヤケクソ気味に「もう一升飲んだら、プラス二千円だ。どうだ!」と叫ぶと、さすがの大人も、しはしは考えていたが「やりましょう」と一言。またもケロリと飲みほしてしまった。
 そのあと吉井山は、いただくものをいただきフトコロにしまってしまうと、おもむろに洗面所へいき、ピューッと水を吹き出したそうな。
 ウソのようなホントウの話とは、こんなのをいうのだろう。
「吉井山は人間じゃないね。あれは人間タンクだ。あいつは、南極に一人でほっぽり出されても、一か月くらいは生きているヤロウだ」出羽錦はつくづくと述懐したものである。
(古今大相撲事典より)