「法皇よ、ここは私の世じゃ」
カメレオン俳優ならぬ松田後白河には無理な注文かもしれませんが
せめてここだけは白河院の、伊東四朗の台詞回しでやって欲しかった。
役柄の上では後白河帝こそ白河院の後継者なのですけれど
白河院が憑依した姿は、やはり松山清盛に期待しましょう。
さて、
「英雄」というのは、
一般大衆ができないことを実現してしまうからこそ
敬意の対象になるのです。
「もののけ」というのは
見えない、わけのわからない存在だからこそ
恐怖の対象になるのです。
長く続いた貴族の世を、長く続く武士の世に変えた、「英雄」平清盛。
栄耀栄華もつかの間、次代で一族を滅亡させた、「もののけ」平清盛。
平清盛は、「理解できない存在」だからこそ面白い。
そこを楽しみましょう。
「棟梁が阿呆やと皆阿呆になんねんな。」
としか見えないのは、俗人なればこそです。
「主役がわからなくてつまらない」
という感想をひけらかすのも、俗人なればこそです。
そう思います。
※物の怪(もののけ)は、日本の古典や民間信仰において、人間に憑いて苦しめたり、病気にさせたり、死に至らせたりするといわれる怨霊、死霊、生霊など霊のこと。物の怪の話は平安時代の文献に多く見られる。医学知識の未発達だった当時は、物の怪による人間の病気に対し、僧侶や修験者が加持祈祷を行い、物の怪を「よりまし」と呼ばれる別の者(主に女中、小童など)に一時的に乗り移らせることで、物の怪を調伏して病気を平癒されるといったことが行われていた。この様子は『枕草子』や『紫式部日記』などに詳しく述べられている。また『続日本後紀』によれば、皇居内の物の怪に対し、60人もの僧侶が経を唱えたとある。(Wikipedia)