吉村昭の「陸奥爆沈」を借りてきた。今年は戦後70年だが、この本は戦後26年目に書かれている。
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 昭和18年、瀬戸内海の柱島泊地に係留中の「戦艦 陸奥」が謎の爆沈を起こした。敵潜水艦による雷撃、三式弾の暴発説、諜報部員による破壊工作等、諸説ある中、作者は当時まだ存命だった関係者への綿密な取材、資料の掘り起こしの末、驚くべき原因を導き出したが、それは是非、読んで確認して欲しい。

 陸奥の爆沈で乗組員1474人中、1121人が亡くなった。艦長も爆沈事故で亡くなっている。
 三好艦長はこの日、「戦艦 扶桑」に新任した鶴岡艦長を訪問した。一緒に昼食をとの鶴岡艦長の誘いを「留守にも(陸奥を)できないから」と断り、艦に戻って爆沈事故にあった。

 この、ギリ・アウトな結末を、三好艦長婦人は作者にこう語っている。

「私は三好が陸奥に戻ってきてくれて本当に良かったと思います。もし留守中にあんな事故が起きたら、三好も艦長として生きてはおられなかったでしょう。私がこのように遺族の方々に親しくさせていただけるのも、三好が事故当時、陸奥にいてくれたからなのです。」

 艦長室で遺体を発見した救難隊の潜水夫は「立派な死に顔だった」と語っている。いかにも当時の人らしい感想だが、婦人の言葉を聞いて、三好艦長は人格者だったに違いないと思った。

 吉村氏は海軍に関する著書が多いが、「戦艦武蔵」をはじめ、いわゆる戦記物とは一線を画す作風が特徴だ。その理由の一つと思える一文が11ページに書かれているので抜粋した。

「私は一種の兵器である軍艦そのものに対する興味はなく、その集結地である柱島泊地にも関心はない。
また、船というものに強い魅力を感じている人も多いが、そうした人達から見れば私などむしろ無関心の部類に入るだろう。
 そうした私が「戦艦武蔵」を書いた理由は、フネのまわりに蝟集した技術者、工員、乗組員などに戦争と人間の奇怪な関係を見、また多くの技術的知識、労力、資材を投入しながら兵器としての機能も発揮せず千名以上の乗組員と共に沈没した「武蔵」という構造物に戦争というはかなさを感じたからであった。」

 何となく感じてはないたが、軍艦が好きではないとは知らなかった!