聖衆来迎練供養会式 ─ 令和5年 4月14日 當麻寺 ─ | タクヤNote

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今回の記事は、今月14日に奈良県葛城市 當麻寺で開催された『聖衆来迎練供養会式』、通称『當麻寺練供養会式』のレポを書きます。

當麻寺の練供養会は、奈良時代の宝亀6(775)年旧暦3月14日に藤原氏の娘である中将姫が當麻寺において阿弥陀如来および二十五菩薩が西の空から来迎し、西方阿弥陀浄土に旅立ったという伝説を、菩薩講の人々が面をかぶり演じるという野外劇の形式を取った仏教法会です。

伝説によると、不幸な生い立ちを経た上に出家し當麻寺に入った中将姫(法名・法如)は、阿弥陀如来の導きで蓮の糸で當麻寺本堂本尊の『綴織當麻曼荼羅図』を一晩で織り上げた後、29歳になる旧暦3月17日、二十五菩薩を引き連れた阿弥陀如来に導かれ、西方阿弥陀浄土へと往生されました。

 

當麻曼荼羅(貞享本)[江戸時代・重文] 画像引用:特別展 中将姫と當麻曼荼羅 図録

 

中将姫伝説についてこのブログでは奈良国立博物館『中将姫と當麻曼荼羅』そして當麻寺<後編> ─ 令和4年7月26日 ─に詳しく書いてますので、解説はそちらに譲ります。當麻寺は古来は弘法大師空海が開いた真言宗の寺院でしたが、この中将姫の伝説と遺された當麻曼荼羅によって、浄土信仰の聖地として信仰を集めます。そんな中将姫伝説を伝えるために、平安時代中期に当麻出身の高僧・恵心僧都 源信によって始められたと伝えられるのがこの『當麻練供養会式』。當麻寺に始まり主に阿弥陀浄土信仰の各地の寺院で広く行われるようになりました。

この法会は昭和51(1975)年に国の無形民俗文化財に指定されています。元は中将姫が往生した旧暦3月14日の一ヶ月後にあたる4月14日に執り行われていたのですが、明治時代に現在の暦の5月14日に行われるようになりました。しかし、熱中症等の配慮から、平成31(2019)年にこの4月14日に変更になったのです。

昨年奈良国立博物館で開催された特別展『中将姫と當麻曼荼羅』を鑑賞してからいずれ行かなくてはと思っていました。それで今年の4月14日にスケジュールを取り、初めて観覧することとなったのです。

昨年に引き続き當麻寺へ。お練りは午後4時からということでしたが、小生は正午には当麻寺駅に到着しました。正午には日差しも強いよい天気でしたが、二上山は黄砂の影響で薄黄色く霞み、青空も色褪せていました。

 

 

昨年は二度参拝をし、よく知る當麻寺だったのですが、當麻練供養会式の当日であるこの日はそれまでとは違った様相を呈していました。まず近鉄当麻寺駅から西に通る當麻寺参道、国道165号線の交差点から先が車両通行止めとなり警察官が立っていたのです。その車止めの横を通って當麻寺に着き山門から入ると、境内の中には縁日の出店が並んでいて、寺はすっかり祭の風景になっていました。

 

 

 

そして、境内の中には約100mの来迎橋が設営されていたのです。木を組んで作られたこの橋は練供養式の演者が練り歩く花道で、橋の西の端が曼荼羅堂、東の端が娑婆堂なのは、西方極楽浄土 ─ あの世と、現世 ─ この世を橋渡しを現しているのです。

コロナの影響で2020年から3年間、来迎橋の設置は見送られていたそうですが、昨年から復活しました。これまで資料などでしか見たことの無かった練供養式がここで行われることを、来迎橋を目の当たりにして肌で実感したのでした。

 

 

本堂と向かい合う娑婆堂は、昨年訪れた時には蔀戸で閉ざされていましたが…。

 

撮影:令和4年 11月3日

 

すべての戸は開放され、本尊の阿弥陀如来像が開帳されていました。堂前には法要に使う椅子、仏前には中将姫像を乗せた輿を置く馬二脚が置かれています。

 

 

この世を現す娑婆堂は練供養会で中将姫が菩薩と来迎する舞台となります。また、本堂曼荼羅堂は西方極楽浄土を現すとして、練供養式の時だけ名称が『極楽堂』となります。

 

来迎橋は曼荼羅堂と娑婆堂の間に架けられた長いものと、演者の待機所にもなっている曼荼羅堂横の塔頭・護念院に架けられた17mの短い橋の二本。前日の13日に設営されています。この日は来迎橋の南北を挟む金堂と本堂は、練供養会式の関係者を招待しての特別観覧席となります。金堂が真言宗、講堂が浄土宗の関係者特別観覧席にあてがわれます。なお、これは年ごとに入れ替わり、西暦偶数年の来年は金堂が浄土宗、講堂が真言宗関係者の特別観覧席になります。

當麻寺は真言宗と浄土宗が混在するという珍しい寺で、練供養会式も真言宗と浄土宗とで合同で執り行われるのが特色の一つとされます。

さすがに来迎橋の全体を一枚の写真に撮ることは無理だったので、グーグルアースの航空写真画像にペイントツールを使って来迎橋を描いてみました。

 

 

 

 

練供養式は午後4時からといういことで、それまで少し當麻寺の中を見て回りました。見どころは本堂・曼荼羅堂の隣に位置する塔頭・護念院でしょう。護念院は練供養式の運営主体となる菩薩講の拠点で、菩薩面や装束管理している塔頭寺院。練供養式当日には出演者の控室となります。

また、実際に練供養式に使用される菩薩面や中将姫の輿が置かれ、鑑賞することが出来ます。さらに菩薩面を被って記念写真を撮れたりもします…が、現在はコロナ感染予防の観点から頭の上に乗せるくらいでの記念写真になっています。

この年には護念院拝観をしなかったので、下に貼った画像は翌年令和6年に撮影したものです。

 

 

 

 

 

他に中之坊で、長老・松村實秀師による写経道場での『當麻曼荼羅絵解き』や、奥院・浄土庭園のぼたんの花などを見て回りました。そうして、午後2時半には練供養式の撮影の場所をキープしてし、お練りが始まるのを待つことにしました。

その時点では去年よりは人は多いなと思いながらも混雑しているほどではありませんでした。しかしお練りの時間が近づくと観覧者も多くなり30分前となる午後3時半ごろには歩きづらいほどの人混みになって来ました。周囲の人の話によると、それでも例年よりも人出は少なかったそうです。

始めは日差しも強い快晴の天気でしたが、夕方が近づいてくると空は雲におおわれて来てどんよりとした空模様に。この練供養式は雨になると来迎橋でのお練りが中止となり本堂を回るだけの法会に変更になるため、天候は非常に気になっていたのです。

 

 

しかし幸いにも雨は降らず、練供養式は無事に来迎橋で行われました。気温は最初手元の温度計では25度の夏日近くで、小生は薄手のシャツ一枚でいましたが、夕方が近くなり日差しが無くなると共に気温も20度くらいまで下がり冷え込みも感じるほどに。念のために用意していた上着を着込んで練供養を待つことになりました。

今回のブログ記事はこの當麻練供養会式の模様を、画像と解説で紹介します。検索してみると當麻練供養会式について紹介するブログ記事はいくつかありましたが、画像と文章の両方で練供養式について解説しているブログ記事は意外と少なく、この記事では画像を多く貼りながら出来るだけ詳しく解説もしていきます。

聖衆来迎練供養式についての解説は、葛城市教育委員会発行の『當麻寺二十五菩薩来迎会(聖衆来迎練供養式)調査報告書 2020』が詳しかったので、これを種本に書きます(以下・『練供養会式調査報告書2020』と記述します)。

 

練供養会式調査報告書2020

 

 

練供養は『練り初め』(ねりぞめ)から始まります。練り初めは塔頭の浄土宗護念院の本堂で行われ、練供養の演者の配役(主役の三菩薩以外)を決める抽選籤引きがなされた後、三菩薩による練り初めが披露されます。

練り初めは現在は3月最終日曜日(本年は3月26日)に行われます。

 

練り初め(護念院) 画像引用:當麻寺護念院HP

 

そして練供養会式の前日である4月13日に、クレーンなどの重機も用いて来迎橋が設営されます。そして当日午前8時に曼荼羅堂の正面北側に『花筵場』(かえんば)と呼ばれる張り出し舞台が設営され、五色の幕が張られます。花莚場とは真言方の僧侶と楽人が法要を行うための舞台です。

 

 

午後2時には護念院の一般参拝が停止、2時半には曼荼羅堂の一般参拝が停止となり、練供養会式の準備が始まります。そして、3時50分頃から法如(中将姫)坐像を乗せた輿が護念院から登場、この時だけ曼荼羅堂は極楽浄土に見立てられ、お堂の名称が“極楽堂”となります。輿は正面の石段からお堂に入ります。

 

 

極楽堂に入った輿は、再び正面から来迎橋を渡り娑婆堂へと担がれ、練供養の幕が開きます。

 

 

輿が娑婆堂まで運ばれると、極楽堂での法要が始まります。午後4時頃、まず真言方の僧侶と楽人が入堂、内陣で読経を行った後花莚場に着席。4時5分頃真言方の僧侶に入れ替わって浄土方の僧侶が内陣に登り読経を行います。読経の声はスピーカーを通して寺全体に響きます。

 

 

浄土方の法要が終わる4時15分過ぎ、いよいよ来迎橋での練り行列が登場です。最初は親御さんに連れられた可愛い稚児行列が、続いて浄土方の楽人と僧侶が娑婆堂へ練り歩きます。

 

 

 

浄土方の僧侶が来迎橋の半分くらいまで練り歩いたところで、二十五菩薩が登場です。先頭は引率の天童で、その後ろで面を被っているのは『地蔵菩薩』『龍樹菩薩』です。

 

 

そしてその後ろに続く、金色の面を被って練り歩くのが『聖衆二十五菩薩』です。主役の三菩薩(観音菩薩・勢至菩薩・普賢菩薩)を除く22の菩薩がまず登場します。花莚場での真言方の読経がスピーカーを通じて響きます。

 

 

 

22菩薩には決まった所作は無いので来迎橋の上を普通に練り歩くだけなのですが、何しろ来迎橋の幅はわずか1メートル45センチで欄干もありません。その上を視界も悪い面を着けて歩くのですから、足元もおぼつかなく危険極まりません。そのために菩薩一人一人に練り歩きをサポートする介添が付きます

 

 

當麻曼荼羅の大元である『観無量寿経』にも書かれている二十五菩薩は…

 

『観音』『勢至』『薬王』『薬上』『普賢』

『法自在』『獅子吼』『陀羅尼』『虚空蔵』『徳蔵』

『宝蔵』『山海慧』『金蔵』『金剛蔵』『光明王』

『華厳王』『衆宝王』『日照王』『月光王』『三昧王』

『定自在王』『大自在王』『白象王』『大威徳王』『無辺王』

 

當麻曼荼羅に描かれている菩薩は中心で坐る阿弥陀如来の側に集まり説法を聴く聖衆として描かれており、それぞれが独自の持ち物を持っています。

浄土信仰を持つ衆生が臨終の時、阿弥陀如来が二十五の聖衆菩薩を引き連れて来迎に来るという教えによるもので、練供養会式はその當麻曼荼羅に描かれた阿弥陀浄土図の世界を忠実に表しているのです。

 

當麻曼荼羅(貞享本・部分)[江戸時代・重文] 画像引用:特別展 中将姫と當麻曼荼羅 図録

 

その22の菩薩が来迎橋の中程まで練り歩いたタイミングで、いよいよ主役の三菩薩の登場です。

 

 

三菩薩を紹介すると、先頭を練り歩くのが観音菩薩。阿弥陀三尊の左脇侍という阿弥陀如来に次ぐ浄土信仰の主尊です。手に持っている蓮華蔵は後で用いられますので、後述します。

 

 

観音菩薩の後ろに続くのが勢至菩薩。阿弥陀三尊の右脇侍で、この練供養法要では中将姫の魂を娑婆堂から取り上げる大事な役を担います。観音菩薩は蓮華蔵が持ち物ですが、勢至菩薩は二十五菩薩で唯一 持ち物がありません。

 

 

観音と勢至の両菩薩は、腕を上げ下げしながら、リズミカルに踏み出す舞踊のような足さばきで緩く一歩ずつ歩む足捌きを披露します。狭い来迎橋の上を足元の見えにくい面を被り、介添も無く所作を行うその様は名人芸。他の菩薩は抽選で配役が決まりますが、観音と勢至の役は菩薩講を運営を担う當麻組の中からベテランの人が行うのが慣例です。

 

観音・勢至菩薩の所作 画像引用:練供養会式調査報告書2020

 

三菩薩の三人目は普賢菩薩です。観音・勢至菩薩は阿弥陀三尊の両脇侍なので他の菩薩とは違うことはわかるのですが、普賢菩薩は釈迦如来の脇侍でのはずで、どうして聖衆来迎の主役三菩薩に選ばれたのかちょっと不思議なところ。もしかしたら、持ち物が天蓋ということで、天蓋を掲げて観音・勢至両菩薩を補佐する配役なのかも知れません。

 

 

當麻曼荼羅の主尊は阿弥陀如来ですが、練供養式に登場しないのです。古くは2.15メートルの高さの『来迎阿弥陀如来立像』[鎌倉時代]を練供養式の主尊として実際に持ち出したそうですが、現在は曼荼羅堂の當麻曼荼羅の向かって左側に安置され持ち出されることはありません。三菩薩が主役として、練供養は進行されます。

 

練供養会式旧本尊・来迎阿弥陀如来立像[鎌倉時代・県指定文化財]

画像引用:http://www.yoneden.co.jp/TAIMADERA_main.html

 

振り返ると中将姫を迎えに、娑婆堂へ向かう聖衆二十五菩薩の行列をなす後ろ姿が。浄土信仰を持つ人がにとっては、これ以上の神々しく感じられる風景は無いのではと思います。

 

 

こうして、三菩薩も含む聖衆二十五菩薩が娑婆堂に到着します。諸菩薩は娑婆堂前に二組に分かれて向かい合い、稚児と僧侶は堂内で三菩薩を迎えます。スピーカーからは護念院住職による来迎和讃の唄が響き、練供養会式はいよいよクライマックスを迎えます。

 

 

まず役僧が輿の中に坐す法如(中将姫)坐像の胎内から小仏を取り出されます。この小仏は『法如化生坐像』と呼ばれ、成仏した中将姫の御霊を象った像です。

 

 

撮影:2014年4月14日

 

娑婆堂前で行われる、中将姫の御霊を極楽浄土へ導く所作が行われます。練供養会式のクライマックスと言える場面で、『奉奏舞』と呼ばれる所作です。

まず、観音菩薩と勢至菩薩が片膝を立てて向かい合います。

 

撮影:2014年4月14日

 

観音菩薩が手に持つ化生仏坐像を撫でるような所作を行った後、両方の菩薩が共に持ち振り上げるのです。

 

 

撮影:2014年4月14日

 

 

そして、中将姫の魂である法如化生坐像を持った観音菩薩は行きと同じ所作で娑婆堂から登場し、極楽浄土である曼荼羅堂への復路へと向かうのです。

 

 

中将姫の化生仏を持った観音菩薩を先頭に、三菩薩、聖衆二十五菩薩、稚児行列と、往路とはまったく逆順でお練りは来迎橋の上を歩いて極楽堂(曼荼羅堂)へと行くのです。

 

 

そして最後に、中将姫の像を載せた輿が曼荼羅堂・護念院に帰り、練供養会式は終了となります。それまで読経を流していた境内のスピーカーから最後に流されたのは、喜多郎の『シルクロードのテーマ』でした。

時間は午後5時をまわり本当なら日は傾き夕景の中を菩薩たちは西方に往くという演出だったのですが、あいにくの曇りでそれはありませんでした。でも、晴れていると逆光になるために曇りは撮影には救いになりました。

初めての當麻練供養会式に立ち会うことが出来て、非常に感慨深い時間を過ごせました。来年も来ることを検討しています。

 

 

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