大安寺 青葉祭 南都七大寺ノスタルジー ─ 平成23年6月15日 ─ | タクヤNote

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今回は、奈良、大安寺で営まれた弘法大師誕生法要・青葉祭について、平成23年6月15日に参加した時のことを今回はレポートとして紹介します。

 

 

 

 

 


青葉祭とは弘法大師空海の生誕祭のことです。
空海の生年については正式な記録は無いのですが、真言宗では空海が真言八祖の一人、唐の高僧・不空金剛(空海の師・恵果の師)の生まれ変わりという伝説があり、不空が入滅した日である6月15日を、真言宗では空海の生誕日として祝っています。


青葉祭の名の由来は、真言宗総本山・高野山が起こりのようです。この季節が初夏の青葉が瑞々しくきれいな時期であることから名づけられたのでしょうか。本山の高野山では、それはそれはとても盛大に行われます。

高野山では『宗祖降誕会』と呼ばれ、真言宗布教の総本部『大師教会』の大講堂にて法要が営まれる他、書画や生花の展覧会、琵琶や雅楽などの演奏会などのイベントが、山上のいたる所で開催されます。
そして、正午からは『花御堂渡御』が行われます。花御堂を乗せた山車に祀られた稚児大師像を御神体に、一の橋から金剛峰寺前までの約1キロメートルの参道を行列が練り歩きます。僧侶や稚児行列を始めとして、高野山の小・中学生・高校生の鼓笛隊や、空海生誕の地である四国から徳島の阿波踊り、さらに高野山高校生徒によるねぶたなど、地元や他の地方の総人数1000人にも及ぶパレードとなります。

 

 

 

 

 


画像参照 金剛峰寺HPより:http://www.koyasan.or.jp/news/080515.html

 


高野山での青葉祭りは宗教行事にとどまらない、大規模なフェスティバルの様相を呈しておりますが、もちろんその他の真言宗の寺院での青葉まつりは、総本山に比べると規模は小さくなります。

小生が大安寺を訪れた平成23年6月15日は、梅雨の只中のどんよりした空模様でした。法要が始まる午後2時直前に大安寺に到着した小生が基壇ばかりが大きい南門(正門)をくぐると、そこは少しばかり参拝者がおおいかなという感じの、いつも通りの静かな大安寺境内でした。

 

 

 

 

 


法要開始が間近ということもあって、参拝者のほとんどはすでに法要が営まれる本堂内に座られておられたのです。小生も法要が始まると思い、本堂に上がらせていただきました。

本堂は大安寺の信徒の方々でいっぱいになっていました。小生が注目したのは『金剛峰寺』のはっぴを着た方もおられたこと。この法要には総本山の和歌山・金剛峰寺からも職員が参加しており、大安寺というお寺の重要性をちょっと見た場面となりました。

こうして、河野良文管主を始めとする僧侶のみなさんによって、法要が厳かに営まれました。
弘法大師空海については、聖徳太子と並ぶ日本仏教の聖人として、改めて説明の必要もないほど有名な高僧。空海に縁があると伝えられる寺院は日本全国にあまたありますが、その多くは伝説の域を越えるものでは無く、史実として空海が関わったとはっきりしている寺院は限られています。
大安寺という寺院は、その空海が実際に住したことが記録として残る、正真正銘の空海ゆかりの寺院なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 


弘法大師坐像[大安寺 嘶堂蔵] 画像参照:http://nara.keizai.biz/photoflash/14/

 


空海は佐伯氏の郡司の子として讃岐国に生まれ、31歳に遣唐使船で入唐するまでは、平城京や平安京で仏教を学んだことが記録されています。この時代の大安寺は奈良時代に平城京に建立されて以来の、その当時の最大の寺院でした。そして、師とされる大安寺僧の勤操より仏教を学んだとされています。
当時、国家運営の大寺院であった大安寺は仏教大学として、日本最高の教育機関としての役目を担い、数多くの高僧を輩出して来ました。その中には天台宗開祖の最澄もいれば、真言宗開祖の空海もいたのです。
また、帰国後の空海は大安寺の別当にもなったことがあり、ここから密教の布教に努めました。当時の大安寺からは多くの空海の弟子も輩出したと伝えられます。

時代の変遷と共に大安寺は衰退への道をたどりますが、いつから空海が開祖の真言宗の寺院となったかは定かではないようです。しかし、空海の高い教養の原点がここからだったことを尊び、後に広く信奉されるようになった真言宗から保護されるように、その法灯を守られて来たのでしょう。

そして、法要が終わると、参列者は内陣前に集まります。
この法要では内陣前に、二つの弘法大師稚児像が置かれます。一つは高野紙で作られた『稚児大師七歳像』で、もう一つは、ブロンズ製の像で、灌仏盤の上に乗られています。

 

 

 

 

 


高野紙で作られた紙塑人形である大師稚児像は、紙塑人形作家の人間国宝であり、歌人でもある鹿児島寿蔵(かごしま・じゅぞう)氏による作品。この日に特別公開される、大安寺青葉祭の目玉であります。
また、その下にはブロンズ製の立ち姿の大師稚児像が。ブロンズ像の方は仏生会で本尊となる釈迦誕生仏と同じ様に、灌仏盤の上に乗られているのです。そして、僧侶による法要に続いて参拝者は前に出てきて、仏生会ばりに大師稚児像に甘茶掛けを行うのです。

 

 

 

 

 

 


そして、参拝者に甘茶が振る舞われるのです。小生もお持たせまで戴きまして、非常にありがたい法要となりました。

 

 

 

 

 


最後は、河野良文師による法話で終わりました。師は大安寺と空海との関わり、そして空海の時代の大安寺について、当時の伽藍を描いた絵を示しながら教えられていました。二基の七重塔に金堂と講堂。千人近い僧侶が学問と修行に励んだ僧坊。日本最高の教学の場として、空海や最澄などの高僧を輩出した大安寺の歴史を語られていました。

 

 

 

 

 


法要を終えて本堂を出た小生は、大安寺の境内を少し歩きました。境内には紙塑人形の大師稚児人形にそっくりな石造の稚児大師像がありました。
この姿は大師七歳のおりに「自分に将来人を救う力があれば、命をながらえさせてください」と仏に祈りながら、捨身が岳の崖から飛び降りたところ、天女が現れて救ったという伝説(捨身請願)の、崖から飛び降りる時に姿を現しているそうです。

とても愛らしい、かわいらしい稚児像ですが、その姿には既に世の中を変えるとても大きな法力が宿っているのです。

 

 

 

 

 


画像参照:http://tempsera.at.webry.info/200806/article_67.html

 


大安寺青葉祭は、今年も6月15日午後2時より大安寺本堂で営まれます。

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