さあ、失恋博物館と青の素について書いたので、最後は本公演について。
20分以内の短編と60分の中編に対して、それ以上の長編作品を上演するのを本公演と位置づけしていますが、現状、本公演には失恋博物館や雨上がりシリーズのようなコンセプトがありません。
でもきっと本当は、ここが一番大事で。
虹の素が目指すとこはどこ?掲げるものはなに?
愛だけで、つくりこもう。とか、
shine the tears.(涙を輝かせる)とか、
明日もまた頑張ろうと思える少しの元気と勇気を贈りたい。とか、
あ、上2つはHPやTwitterにも掲げている通り、なんとなく知っている人も多いと思いますが、
最後の3つ目はなんぞ?といいますと、これも僕忘れてたんですけど、遡っていたら出てきて。
「愛だけで、つくりこもう。」を掲げる前に掲げていた言葉でした。
これこそ実は虹の素の根本だったのでした。
今はもう前には出していないけれど、(というよりすっかり忘れていたけど)でも、
根は変わっていなかったなと思います。だって今でも、自然とこう思ってる。
明日もまた頑張ろうって思うためには、
今日がんばった自分を認めてあげなくちゃいけない。
今日がんばってない自分だったら「明日も」って思えないから。
今日をちゃんと生きる。がんばったって認める。そして、明日もまた頑張ろうって誓う。
そう生きれたら、毎日がちょっとずつ良くなっていくはず。
そのための、ほんの少しの元気と勇気でいいんだなって。
劇的に、ズガーーーン!って衝撃を与えるような、
心を全部すっかり浄化しちゃうような、人生を180度変えちゃうような、
そんな作品も、この世界にはある。確かに存在する。
でも、虹の素は、そうじゃなくていい。
ほんのすこいでいい。虹を見つけたくらいの、小さな幸福で。
小さなハッピーでも、それはちゃんとその人の心を動かしてるから。
話を本公演に戻します。
昨年上演した「みなとみらい」では、改めて横浜の劇団であるというところに立ちかえり、また平成の終わりということもあり、僕が生きてきた地元横浜と平成という時代をテーマにして作品を作りました。(僕は平成2年生まれの、生まれも育ちも横浜の生粋のハマっ子です)
そこからの1年で僕の中に変化がありました。
それは「時代を見つめる」ということを最近特に強く感じるようになったことです。
わたくしごとですが、昨年8月に息子が生まれて、子育てをしていく中で、子育てをしやすい社会環境であるとか、養っていくための仕事と賃金のシステムであるとか、教育現場であるとか、息子が大人になった時の未来の社会のこととか、そこに向かっていくだろう現在の政治体制や国際情勢であるとか、いろんなことを考えます。
そして考えるたびに、正直闇しかなくて絶望します。
本当に絶望します。
家でご飯を食べながらニュースを見るんですけど、目を背けたくなります。
僕や棒太郎がよくお世話になっていた大先輩の濱田重行氏がいるのですが、彼はよく「演劇はジャーナリズムだ」と言っていました。
虹の素の初期は、恋愛色の強い少女漫画みたいな、濱田さん曰く「女々しい」作品ばっかり作っていたんですけど、
(まあもちろんそれはそれでひとつの色・コンセプトとしてはありだと思ってるし、他にそういうことやっているところもいまだにほとんどないので。それは、強みだと思っていますが)
それはおいといて、その「演劇はジャーナリズム」という言葉の意味が最近よくわかってきて、そもそも、芸術の要素として、風刺があって、昔で言えば、芸術家は作品を以って政府を批判し、政治は芸術によって是正されバランスを保っていました。そして、政治が芸術に干渉すると社会はおかしな方に傾いていくことは、みなさんも歴史でご存知かと思いますし、昨今、再びそのような動きが影を落としているのも感じていてほしいと思っています。
今年5月に予定していましたが中止となった10周年本公演「夜明け」は、
10周年という節目を迎え、また令和最初の本公演でもあり、次の10年を占う上で、新たな方向に舵を切っていくことを決意した作品でした。
その一つが、時代や社会をしっかりと見つめていくジャーナリズムという側面。
これに関しては、「みなとみらい」もそうですしそれ以前の雨上がりシリーズなどでも用をそ含んでいる作品はありました。
今の時代を生きている私たちをちゃんとみつめること。
今の社会を生きている私たちをちゃんとみつめること。
そうしないと、本当の心は見えてこないんだなと感じるこの頃です。
そして今回の「夜明け」で新たに挑戦するのは、ノンフィクションを取り入れるということでした。
これもまたここ数年でだんだんと強く感じるようになったのですが、作り話以上に現実には心震わせる出来事がたくさん存在しているということです。
実際に失恋博物館では一人芝居「ホームにて」や、「Design & Reason」といった実際にあった出来事を基にした作品を上演してきました。
そこで、僕が感じた「切ない」といった感情を、より多くの人に伝えることに成功しました。
演劇には、「伝える」といった側面もあると思います。観客が普段の生活で触れることのない、知らない世界を体感してもらう。
世界と世界、人と人をつなげる、そして同じこころをわかちあう。そういった力が演劇にもあるんじゃないかと思います。
「夜明け」題材にしましたのは、今から30年以上昔に、ガーナの村長になった武辺寛則さんという青年海外協力隊の人のお話です。
武辺さんは25歳でガーナのアチュア村というその日食べるのもやっとというようなとても貧しい村に赴任して、村が豊かになるためのプロジェクトを色々やっては失敗して、でも最後にはパイナップル畑をつくるんです。
さらっと説明しちゃうとなんだそんなことかって感じですけど、その紆余曲折が僕は本当にすごいなと思って。
だって、25歳の自分なにしてただろうってすごく思うんですよ。
僕は今年で30になりましたが、じゃあ今途上国の村に1人で行って仕事を起こしてこいって言われてもどうしたらいいかわからないですし。それこそ、今はまだ、インターネットがあって、世界のことが知れて、はるかに便利な時代ですけど、武辺さんの時代は、まだバブルも弾けてなくて、ベルリンの壁やソビエトがあって、インターネットも当然ないわけで、ガーナなんてアフリカの国の情報なんてほっとんど入ってこないような時代ですから。
まあその辺については、来年7月のKAATで、しっかりとつくりなおして、皆さんにお届けできたらと思っています。とにかく僕は武辺さんという人の情熱と根性を感じたし、それを受けて、今の自分自身、ひいては現代を生きてる若者達に「おい、なにやってるんだ」って気持ちになったんですね。
だって今、1人じゃ何もできないって決め込む人ばっかりじゃないですか。
決め込んでなくても、1人じゃ何もできない人ばっかりじゃないですか。
少なくとも僕はそう思うんですね。
そんな人たちに武辺さんは「やってみなよ」って言ってくれてるんですね。
大丈夫だよ。できるよ。僕がその証拠だよ。って。
だから、その気持ちを、作品を通して、たくさんの人たちと共有したいって思っています。
武辺さんは、実際に海外に行って、こう、世界をより良くするために行動していて、でもその心にあるものは僕も同じだって思っていて、僕も、世界をより良くしたいって思っています。正直本当に絶望しかしないけど、でも、自分の息子がこれから生きていく未来、自分の息子が一緒に生きていく人たちが明るく生きれる世界を、作っていかなきゃいけないし、守っていかなきゃいけないと思っています。その手段として、僕は演劇というツールを使いたいし、それを実現するための素晴らしい同志達が必要だと思っています。
今「1人でも何かを成し得られるよ」という話をしましたが、僕自身は全く真逆で、虹の素で10年作品を作ってきましたが、公演をするたびに「1人じゃ何もできない」と思わされてきました。
こうして一緒に走ってくれる劇団員がいて、出演してくださる俳優女優達がいて、各スタッフさん達をはじめ、チラシを作ってくれたり、音楽を作ってくれたりっていう、とにかく色んな人たちの手助けがあって、僕がやりたいこと、表現したいもの、発信したいことというのが実現できているんだって本当に思うんです。本当に感謝しかないんです。
それこそ、僕にできることは「情熱を持ち続けていること」で、それを続けてきたから、今こうしていることができてるんじゃないかとも思っています。
正直、自分が、絵画とか音楽とかそういう方向で力を発揮できたらよかったなと思う時もありました。他人に気を使わずに黙々と自分の世界で自分のペースで作業に没頭する。でもやっぱり、それはそれで向いてないなって思うんです。僕の妻は漫画家なんですけど、家で1人で黙々と書いてます。自分にはできないなって思います。やっぱり、人と向き合って、ディスカッションして、賑やかに、楽しく、時に真剣に、空間と時間を共有してみんなで走っていくほうが僕は好きだなって思います。
だからとことんやろうって思っています。上辺の付き合いはしたくないって思うんですね。だって同じ方向向いてないとつくれないじゃないですか。違う方向向いてたら絶対無理じゃないですか。だからできるだけ同じ方向を向いてほしいって思うし、同じ方向向けたら、今度はおんなじ熱量で挑んでいきたいんですね。だって温度差も嫌じゃないですか。冷めたくないし冷めて欲しくもないんです。だからなるべく120%で挑もうと思っています。
これはものすごく言い方が悪いかもしれないですけど、虹の素の劇団活動は仕事じゃないです。っていうとものすごく語弊があるんですけど、申し訳ないですが「仕事」と呼べるほどギャランティもありません。それはもう僕も劇団員もおんなじです。だから何かっていうと「仕事だから」って割り切ってやるっていうことが存在しないと思っています。
逆もいるかもしれません。「対価としての報酬」が十分でないから、それに見合った程度の努力でいいやって思う人もいるかもしれません。僕たちはそういう人とは一緒に作品はつくれません。そういう人たちも僕たちとは一緒にやりたくないと思っているでしょうけど。もう本当にどうしようもないことですが、演劇というものは莫大なお金と時間をつかって、たくさんの人を巻き込んで、チームで本番というゴールに向けて走ります。ごめんなさい、演劇で食っていくとか、芝居を仕事にするとか、ちょっとそういう話は置いておきます。僕たち虹の素は、いいものをつくりたい、楽しんでもらえるものを作りたい、そしてその中でこの思いを届けたい、分かち合いたいって思っています。分かち合うということは、手を取り合うってことで、手を取り合うその輪が広がることは、世界が丸くなることにつながると思っています。
演劇ないしなにか共同でものをつくるっていうことは、それは虹の素に限らず、どこでも、そういう熱のある人が集まる場所であってほしいと思ってます。
最後に、ごめんなさい長々と。神奈川県演劇連盟についてお話しさせてください。
今回、神奈川芸術劇場KAATの大スタジオという素晴らしい劇場で公演を行いますが、それは、TAK in KAATという、神奈川県演劇連盟が使用できる権利が1年間に2枠ありまして、そのうちの一つを、今回虹の素が使わせてもらうのですけど、この神奈川県演劇連盟というのは、ちょうど今から60年前に、神奈川県内で活動する地域劇団があつまって立ち上げられたんですけど、その中で、いろんな活動や働きかけをしてきてくれたんですね。
たとえば、演劇資料室っていう、桜木町の青少年センターに、演劇の戯曲や広報誌なんかが蔵書されてる演劇図書館みないなところがあって、それを立ち上げから運営からやっていたり、そのセンターのスタジオHIKARIのマグカルシアターの管理をしていた時期もあれば加盟団体が優先して使える枠もあり、互いに劇評を書き合ったものを載せる広報誌ドラマかながわを発行していたり、このKAATの使用する枠を確保してくれたり、とにかく、今、僕たちがかながわで演劇をするチャンスや場所を得られるように働きかけてつくって守ってきてくれた人たちがいるんですね。演劇連盟がなかったら、普通にKAATを借りるしかないんですよ。
いやもちろん、やろうと思えばできますよ。借りれますよもちろん。でも大事なのってそこじゃないというか。
少なくともそういうのって東京にはないじゃないですか。
言い方悪いけどみんながみんな乱立してるだけじゃないですか。
いやもちろん神奈川もそうなんですよ。連盟に加盟しないで独自でやってる劇団の方がおおいです。
当たり前ですけど。特に僕ら平成世代の若い劇団はみんなそうです。
そういう人たちが神奈川で演劇活動をしてるんですけど、その土壌をつくってくれているのは、間違いなく、演劇連盟なんです。僕はそう思っています。
で、その演劇連盟も60年経ってるわけで、世代交代の波が来ています。昨年の暮れに、よこはま壱座という、先ほど申し上げた濱田さんを座長とする大先輩方の劇団が解散しました。
今年に入って、演劇資料室の運営に多大なる力を注いでくださったお二人のうちのお一方が亡くなりました。もう一方も、余命宣告を受けているところです。
そんなわけで現在、演劇資料室は存続の危機に扮しています。継続しての運営体制が困難な状況なんですね。今それを、連盟の中でどうしていくのかという話を、私たちよりもう一つ上の人たちが色々と動いてくれているんですけど、僕たちも、どうしたら力になれるかと考えながら、でも何もできていない現状に歯がゆい思いをしています。
とにかく絶やすことだけは絶対にしたくないと思っています。
話を武辺さんに戻しますが、武辺さんは、ガーナでパイナップル畑をつくって、村に仕事とお金が入るように貢献しました。でも、その畑を受け継いで守ってきたのは村の人たちなんですね。30年以上ずっと。それを受け継ぐ人がいなくなったら、当然畑はなくなるんですよね。
今のガーナの村の若い子たちは、生まれた時から当たり前のようにパイナップルを栽培している環境があるんです。でもそれを当たり前に思ったらだめなんです。だから大人たちは、武辺さんのことをきちんと子供たちに伝えます。子供たちも、その努力と功績に感謝をして、その情熱を受け継いでいます。
神奈川の演劇も今、そういう状況だと思っています。
演劇連盟に限った話ではなく、演劇界、小劇場界全般に言えることだと思っています。
先人達が植えてきた木を、切り倒して使って終わり。今はそれでいいと思います。それで成立してますから。でもその先に待っているのは、荒れてやせ細った土地しか残らない未来です。僕たちの後輩、子供達が大人になって同じように芝居をやりたいと思った時に、もっと豊かに演劇ができる環境をまもりつくっていくという意識と自覚が、今の平成世代の演劇人には圧倒的に足りてないと思っています。パイナップル畑は当たり前にあるんじゃないんです。先人達の汗と努力が積み重なって、今僕らはその恩恵を受けているにすぎないんです。そういうことも、今回の作品を通して、1人でも多くの人に伝えたい。訴えたい。そしてわかちあいたい。そう思ってます。
ですから虹の素は、今後も感謝の心を忘れずに、受け継ぎ、守っていくために活動をしていきたいと思っています。今回のTAKinKAATは、その最たる公演です。極端な話ですが、この公演が最低に終わったら、劇場側としては、演劇連盟に使わせても質が低いだけだからもう枠をあげるのやめます。ってなるわけです。それは絶対にあってはならないことだと思います。
KAAT 大スタジオという県内の素晴らしい劇場で公演をさせてもらえることに心から感謝して、
今年できなかった分、さらにエネルギーを増して、来年にのぞむことを誓います。
長くなってしまいましたが、以上で締めさせていただきます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。