88 Cirnhill Rd | EleMariRai @ JB

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三人の娘たちとフルタイムのワーキングマザー。
マレーシア最南端のジョホールバルでのあれこれを綴ります。

昼食会の帰りは、エメラルドヒルを通り抜けてニュートンへ。

戦前ババたちの住んでいた家が今でも残っているエリアです。

若かった頃、ここの入り口にあるPeranakan Placeでお茶を

するのが大好きでした。ナシルマも売ってた記憶がある。

 

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日曜日の夕方だからか、人影が見あたりません。

左奥の白い建物は、元々はChinese Girls Schoolでしたが、

つい数年前までChatsworthというインターがありました。

 

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門がある三階建ての家。きれいにリノベーションしてますね。

両脇は門に中国風の屋根がありますが、真ん中の家は英国風。

三軒まとめてGoh Kee Hoonという人が建てたんだそうです。

1905年ですから、明治時代の終わりかな。

 

上から見ると、真ん中の家(41番)だけ裏庭まで建物が続き、

左右の家とつながっている。ああ、中に入ってみたい(笑)。

 

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私の大好きなスキ間を埋める家がここにもある!

 

 

角地ではないけれど。いろいろと変遷があったようですね。

奥に引っ込んでいるのは、前庭を作りたかったからかしら?

 

 

なぜなら。向いの家たちのDrivewayってとても長いのです。

 

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Emerald Hill Road をどんつきまで進み、左折してから

向かったのは、Cainhill Road。

 

 

この本の表紙の場所(Cairnhill Rd)に来てみたかったのです。

慰安所について書かれた、昨年NUSから出版された本です。

 

慰安所@Cairnhill Rdについては、建国の父リークアンユーや、Singapore Chinese Girls School の元校長がすでに90年代に

証言したのですが。2013年8月に韓国で出版された「日本軍

慰安所管理人の日記」が現在では重要な資料とされています。

朴という韓国人が慰安所@Cairnhillの日々を記したものです。

 

ここからScots Rdとの交差点までが日本軍によってブロック

され、慰安所や料亭が並んでいたエリアだったそうなので、

この通りに沿って歩いてみることとしました。

 

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左端のつけたし部分には日本料理屋さんがありました。

 

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私の好きな道なりにサイズの変わっていく家。

ということは。元々の道は曲がっていたということになる。

 

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88番の家。菊水倶楽部があり、朴さんが寝起きをしてた家。

とても可愛らしい家ですが、これらの家々に慰安婦がいたと

思うと、ハウスウォッチングをする気にはなれませんでした。

 

 

この家には、日本国の副領事が住んでいたこともあります。

古い地図を見ると、大きなバンガローが並んでいるので

それなりの格式があった住宅地なのだったのだと思います。

 

なお。Cairnhill Rdで右折せず、直進すればオーチャード。

高島屋横からCTEへ行く道が、この道とぶつかるあたりに

豪邸があって、私はそれを見るのが好きでした。

 

 

Tan Ching Tuangマンション。中国から戻ってこれなかった

Tan Kah Keeから、OCBCの頭取が購入したんだそうです。

今はコンドミニアムの敷地内にあり、恐らくクラブハウスと

なっているのでしょうね。

 

 

こちらは建築中のコンドミニアムのクラブハウス完成予定図。

 

 

現在よりも美しく生まれ変わるので、よいのかもしれませんが。

Cairnhill Rd沿いには、まだ数軒のバンガローが残っています。同じような運命を辿ることになるんだろうなあ。