はやく勉強法について書きたい!と駆られていますが、まずは気持ちの変遷の続きを書きたいと思います。仮面浪人や大学受験をする皆さんに一番伝えたいことは勉強法や参考書ではありません。セルフマネジメント(精神をいかに安定させておくか)、タイムマネジメントが受験においても、人生においても特に重要だと私は思っているので、気持ちの変遷を書くことに重点を置いています。
本題です。
前回記したように、6月下旬に仮面浪人の意志を固めた私は実家から現役の時に使っていた参考書を持ち帰り、またこよなく愛する紀伊国屋書店新宿店で必要な書籍を集めたりしながら徐々に勉強を進めていきました。時は7月。アルバイトも融通の利かない塾講師から飲食店に切り替え、タイムマネジメントにも力を入れていた時期です。7月といえば日本の通常の大学だと前期期末試験が実施されます。期末直前は、アルバイト、家事、受験勉強、テスト勉強と頭がパンクしそうになりながらも、何とかやり遂げていました。8月、夏休みに突入しました。独居にこもっていると精神を病んでしまいそうだったので、市立図書館や大学の図書館で受験勉強をし、夕方ころチャリでバイトへ向かっていました。9月も同様です。大学は8.9月が休みだったので、ここを逃したら勉強時間を確保できるチャンスはない!という思いで、鬼気迫る思いで勉強をしていました。
10月に入りました。ここで考えなくてはならないのは友達に仮面浪人について伝えるか否かです。個人的な意見としては、伝えたほうが楽です。全員にうそをつき、ひとりだけで受験に立ち向かえるほど私は強い人間ではありませんでしたから、大学の中でも信頼が置けて、仲の良い友人5人ほどにありのままの理由と現状を伝えました。冷たい反応を予期していたのですが、驚いたことに5人全員が強く、明るく、励まし、応援してくれました。この5人がいたから私は今志望校を母校にできているのだと確信しています。
10月は最悪の月でした。人生史上最悪の2日間、10月7日、8日。まず7日にICUAO入試の合格発表があり、結果は不合格でした。泣き出しそうになりながらもアルバイトへ行き仕事の休憩中にふとスマホを見ると実家から連絡が入っている。慌てて電話をすると、「おじいちゃんが危篤だから帰ってきてほしい」と。急いで帰りました。道中は涙を流し続け、途方に暮れたような気持ちでした。神様なんていないんだ、なんて小学生みたいなことも考えながら病院へ向かっていました。翌朝、祖父はなくなりました。祖父は一代で会社を興し、成長させた人です。自分に厳しく人にやさしい朗らかな人でした。祖父は現役時代に大学に合格したことをいたく喜んでくれていました。ある時仮面浪人について伝えると、「五年先、十年先を考えて行動しなさい。目先の学歴だけではなく、先を見据えなさい」といわれました。これは私の座右の銘です。最終的には祖父にもらった最後の言葉がこれになってしまいました。祖父の死後2週間ほど全く勉強が手につかず、受験をやめてしまおうかと考えましたが、思いとどまり失意の中勉強を再開しました。11月、12月は大学の講義が億劫で仕方がなかったです。待ってはくれない受験までの時間、バイトや講義に忙殺され実力の伸びを実感できない。追い込まれ始めていたのが11月、12月でした。
しかし、11月に本当に大きな転機が起こります。私はICUの滑り止め候補として慶應義塾大学総合政策、環境情報を視野に入れていたのです。正直言ってICUの入試はあまりにも特殊で自分でいくら勉強しても落ちる人は落ちるかもしれないし、受かる人はやっぱり受かるのではないかという印象を受けていました。(今思えばそんなことはありません。適切な対策をすれば必ず合格できると思います。)そこで、対策が可能なSFCの勉強を始めたのですが、また壁にぶち当たります。小論文。SFCの小論文は日本一の難関といって差し支えないと思います。ここの対策をするために、私は現役時代にSFC両学部に合格している中学時代の友人に連絡を取りました。すると彼はスカイプで小論文の指導をしてくれるといったのです。余談ですが、ここで彼から学んだこと、そのほかにも個人的に文章を組み立てる際に頭をひねり続けたことは、現在も強く生きています。
やはり人は縁ですね。結局は受験料を支払うことができず、SFCは受験しませんでした。彼には本当に申し訳ない。しかし、SFCの過去問を解く中で出会った関連の知識や、書籍がICU受験に生きたことを思えば本当に彼のおかげです。
彼のおかげもあり、モチベーションを高く保ったまま、冬休みへと突入しました。
冬休み明けからの一か月弱のクライマックスは新しく書きたいと思います。