環境問題への関心を持つ人は、この数十年で爆発的に増えた。
自分たちの住む場所に対して無頓着だった野蛮な人類史を思い起こせば、それは進歩であり、前進であるとも言える。
身近なところで挙げれば、ゴミの分別であったり、冷房や暖房の節約であったり、資源の無駄遣いの削減であったり、もはや、誰もがそのどれかの一つくらいには向き合っていると言っても過言ではないのが、この現代だろう。
それらは、エントロピーの減少とも言いあらわせる。
人々は、生きてゆくために無秩序を生み出す。
だが、無秩序に気付いた者は、それではいけないと秩序のある状態に戻そうとする。
ケモノを狩り過ぎないこと、果実の実る樹木の手入れをすることは、意識的なエントロピーの減少であり、それは人間にしかできないことなのだ。
ただ、考えて欲しい。
無秩序を秩序に戻すことが全て正しきエコロジーと言えるのかどうかを。
例えば医療だ。
人類は凄まじい勢いで医療を進歩させ、今や、かつて不治の病と言われたいくつかの病気ですら完治させることができる。
その結果、人々は幸福になったのだろうか?
短期的にはそうだろう。
家族や友人の病いが治って嬉しくない人はいない。
だが、人類史を長い目で見れば決して、そうとも言えない。
発達した医療は、莫大な数の高齢者を生み出し、多くの税収がその保護に割り当てられ、若い世代の不安要素として老人の介護が君臨する。
これは、立派な環境破壊なのだ。
国家も民族も自治体も家族も、みな自分のコミュニティだけを優先する。
自分の仲間だけを守ろうとする。
だが、真のエコロジーとは、全体主義なのだ。。
100人の他人を見殺しにするくらいならば、我が子一人を生け贄にする。
それができないなら、エコロジーなど語らない方がいい。
ゆえに僕は、今夜もエアコンを付けっ放しで眠り、明日も割り箸でお昼ご飯を食べる。