「姥捨山~うばすてやま~」
「90歳になって老後が心配とか、わけの分かんないこと言っている人がこないだテレビに出てた。いつまで生きてるつもりだよ、と思いながら見てました」
先日、問題になった麻生太郎元総理の発言なのだが…。
果たしてこれは麻生太郎さん個人の意見なのだろうか?
僕としては、高齢化社会の問題に頭を抱える内閣議員たちの本音を垣間見たような気にさせられた。
近代化以前の悪習の1つとして、「姥捨山」というものがある。
いわゆる口減らしだ。
少子高齢化社会において、最も安易なこの解決策についてはタブーとされ、一切公には議論されない。
ありていに言ってしまえば、現在高齢者にかけている年金や医療費を大幅に減らし、浮いたお金を子供たちや子育て世代へ振り分けてしまうことで、先進国における超高齢化社会の問題はおおかた先の見通しが立つ。
そう考えている人間は相当数いるのではないだろうか。
麻生太郎さんの発言の裏にそれが見透せると思う。
ただしこういった安易な発想にはもちろん大きな犠牲が伴う。
65歳以下の現役世代にとっては、両親や祖父母を見殺しにし、なおかつ、いずれ自分自身も国から見捨てられることを受け入れなければならない。
また、年金や医療控除がなくなっても、経済的にゆとりのある高額所得者とその家族だけは、延命を受け長寿をまっとうできる可能性が高まるのだから、ますます格差社会は拡大化するだろう。
それが姥捨山なのだ。
老いたるものは去り、限られた資源を次の世代へ譲り渡す。
一個の生き物としては自然なことだろう。
労働力にもならず、子を増やす役割も終えた老体が、限られた資源の大部分を消費しているというのは、確かに一見自然の摂理に反しているように思える。
…とはいえ人類が自然の摂理に反する道を選んで歩き始めておよそ15万年。
永く生き健康で豊かであることを到達点として繁栄してきたのなら、すべての世代が妥協できる解決策を見つけることに探究心を注ぐべきだと思う。