映画「桐島、部活やめるってよ」 渋谷東急
脱ニートとなり、訂正、脱フリーター、恋愛対象として見れないフリーターから恋愛対象として見れるフリーター、いや、そもそも「フリーターは恋愛対象外」、なんて。
平日の普通の時間を「労働」に費やすと、「休日」の有難味が、「休日」の幸せが、身に染みるようになった。
油断していたらすぐに月曜日。そんな事がまた味わえるなんて、中学生以来だ。
だから、休日は行動的になった。多少。
「桐島、部活やめるってよ」を観てきた。映画である。
変わったタイトル。
そんなこと思う間もなく、またたく間にTwitterには「~ってよ」ツイート。
捩る事が大好きなネットユーザー達がいかにも喰い付きそうな名前。そこが狙いだろうか。
そしてフォロワーの「観てきた」ツイート。
下北ビレヴァンでのピックアップ。
Base Ball Bearの小出祐介がツイート。
サブカル好きが好む映画なのだろうか。
衝動的に映画館へ行き、衝動的に鑑賞。
予備知識はゼロ。いや、「神木キュンが桐島だと思ってたのに違った!」という軽めのネタバレツイートは目に入ってしまっていた。
「部活道具持参で1000円に!」というキャンペーン広告を横目に窓口へ行くと、何故か「1000円になります」との言葉が。
竹刀片手に道着姿で防具付けて劇場へ行くわけもなく、バスケ部時代のくすんだ思い出が、販売員には見えたのだろうか。
今日から9月だった。
終始「にやけ」が抑えられない映画だった。そういうことってあったなー、学校生活のワンシーンが蘇る。
「桐島が部活をやめる」、ニュースが伝える殺人事件、大災害、消費税引き上げ、そんなことに比べれば、もの凄く些細なことなのに、彼らにとってそれは、それ以上に大きなこと。
それゆえ、人間関係が歪み、崩壊していく。
これが面白い具合に崩れていき、学校という場所にいかにそういうヒエラルキーが存在し、誰かが誰かを気にし、誰かが誰かを気にして生活している場所なのかを痛感する。
校内に存在するヒエラルキーは、如実というか、残酷というか。
ある時点を起点に物事が進み、その時点へとまた戻り、同じ時間軸を違う人物の視点で再び描かれ、物語の全貌が明らかになっていく、「バンテージ・ポイント」「木更津キャッツアイ」にもみられる手法、好きだ。
映画「桐島、部活やめるってよ」予告編
ぷらすとアーカイブス『「桐島」、ぷらすとで話すってよ』(2012/8/22配信)
映画など観て余韻に浸ってる暇があったら、溜まりに溜まった夏フェスのブログ更新しろ。
って。