『秦の始皇帝』後の『漢』の時代の皇帝が作ったお墓“漢陽陵博物館”にも行きました。
この丘がお墓ですが、


このお墓の周りにも地下軍隊がずらり。
その8分の1だけ(赤い囲み部分)が発掘され、展示されています。


それがこちら↓。なんだか小さい!

一体の長さは60cmくらいです。

お墓を守るために、やはりきちんと整列して並んでいます。


展示室の床がガラス張りになっており、足元に兵士たちが・・・ちょっと怖かった


家畜や生活用品なども出土されました。


当時は木製の手がありましたが、土に返ったようです。服も着ていたそうです。


小さい理由は、『秦の始皇帝』ほど暴君ではなかったというか、
こういう作成は、莫大な人出をお金がかかるため、遠慮したみたい・・・
時代が進み(と言っても、これでも紀元前の話ですが)、権力を振り回すだけでは国がまとまらなくなったのかな??
『秦の始皇帝』より大きいモノを作るぞ!というのではなく、あえて小規模にしたことに驚きました

歴史レポート、次回は『城壁』編です・・・なんと城壁の上を自転車で周りました
中国にGWはありませんが、5月1日の“労働節”で3連休があったため、西安に行って来ました
ココ↓上海から鹿児島に帰るより遠いです


夫は出張では行っていますが、観光は皆無・・・
歴史好きの夫が、どうしても旅行で行きたい!と言っていた場所です。
現地で仕事の電話がかかってくる中、意地でも?観光をしてきました

いや~、歴史に全く興味のない私も、感動しまくりでした
世界で最初に“国”というものを作った人が『秦の始皇帝』。その都が西安。
古代の名前は長安です。あの平城京の“碁盤の目”の大モトです。
『秦の始皇帝』は、万里の長城も手掛けています。
日本が弥生時代でやっと稲作が始まった頃に、
既にお金や測量単位を統一し、こんな自分のお墓まで作っていたとは↓


ハイ!世界遺産『兵馬俑』です!本物はすごかった!
目の前に並ぶ約6000体の兵士たちの威圧感というか、圧倒的な存在感、出ているパワーみたいなオーラみたいな、もう言葉にならないスゴさで、しばらくその場を動けませんでした

これらは、『秦の始皇帝』のお墓を守るために作られ、
全員お墓側を背にし、敵地である東側を向いて整列しています。

本当は人間を生き埋めにしたかったが、後世へ悪いイメージが残るため、等身大(平均180cm)の像を作らせたそうです。
そのため顔も一体ずつ違うし、手相まであり、服の色も付いていました。
色は発掘直後に消えてしまい、保存が非常に難しいらしいです。

公開されているモノは、これでもほんのごく一部で、まだまだ発掘中。


そんな中、ほぼ無傷で発掘されたものの数々・・・

このポーズ。カッコよ過ぎます

みな同じように見えますが、幹部の方はお腹が出ていたり、


弓矢を引く少年や、


馬を引く人など、役割ごとの精密さに驚き。


こんな青銅器も大量に発掘されました。
実物大の2分の1のレプリカですが、それでも1トン以上あります。


そもそもお墓の回り数キロに渡って、こういうものが大量に眠っているらしいから、その規模たるや計り知れない。
こちらは、軍隊とは数十メートル離れたところにある司令部。いやはや・・・


1973年に農民が井戸を掘っていて、偶然地下にコレを発見したなんて、本当にビックリ!
この第一発見者はヒーローおじいさんとなり、たまにここでサイン会をやっているらしいです

ちなみに、こちらが『秦の始皇帝』のお墓。

後ろに見える丘全体がお墓ですが、その地下には金銀財宝はもちろん、宮殿がそのまま再現されているとのこと。
世界中の書物にも記載され、確認済みですが、発掘直後から劣化するため、保存方法を研究してから発掘を開始するそうです。
しかし、このお墓にはいろいろな仕掛けがあり、危険も伴うため、なかなか進まないとか・・・
なんとも興味深い。

いや~、ここは中国歴史どころか、世界歴史の大モトなのです!
興奮レポートは続く・・・
こちらはMINI?

ではありません。
“寧波モーターショー”の日記でも書きましたが、中国メーカーのパクリ車は、数えきれないほど・・・

そんな中、メーカーごとパクられたのでは?というのが、こちら・・・

なんとなく、とある日本メーカーっぽいロゴ。

そして、FAMILIA?

じゃなくて、FAMILY
エンブレムもそっくり