伊勢の旅2日目朝は、河崎へ行きました。
勢田川に鵜?がいました。
伊勢に暮らす人や、訪れる人の物資を運ぶための勢田川の水運で発展した問屋街だったそうです。
明治時代から昭和までサイダーを製造
江戸時代に創業された酒問屋だったという、黒壁の蔵。
朝早かったのでお店は閉まっていましたが、古い街並みを見て。その後、神宮徴古館へ
迎賓館を手掛けた片山東熊(とうくま)設計
他の観覧している団体さん、式典に出るような正装をされていて「私たち大丈夫
」と思いつつ拝観。
式年遷宮で役目を終えた「神明造」の建築物(屋根の部分)、記録や書籍、織田・豊臣・徳川それぞれの遷宮に関する書状、当時の様子を描いた錦絵など
伊勢神宮の、お宝が展示されていましたその後、同じエリアの、倭姫宮と神宮文庫へ
倭姫宮(やまとひめのみや)には11代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が祀られていました。
天照大御神の鎮座地を探して…伊賀・近江・美濃から伊勢にたどり着き、神宮創建の立役者となった方だとか
その後は、天皇の代わりに天照大御神にお仕えする斎王(さいおう)を務められたそうです
倭姫宮(右、やまとひめのみや・内宮の別宮、左は古殿地)
斎王は天皇の未婚の皇女または王女の中から、卜定(ぼくじょう)と呼ばれる、亀の甲羅を使った占いで選ばれるのだとか
務めを早くに終え、結婚して子供を産む方もいれば
斎王になり(神様だけにお仕えしないといけない中) 叶わぬ恋をした方など多くの伝説が残されているようでした。
神宮文庫・黒門
「昔、男ありけり」で始まる伊勢物語、六十九段(狩の使)は、
平安時代の斎王、括子(やすこ)内親王がモデルと言われていて
斎宮に短い滞在をした男(モデルは在原業平)との、一夜のロマンスが描かれています
夜、一緒に過ごした(ほんの数時間、一緒にいただけの)ハッキリとしない2人の関係。
神にお仕えする斎王という立場上、積極的にはなれないこともあり、女性はこんな歌を送ります。
神宮文庫は、神道学や文学・歴史文献など約31万冊。
君や来しわれやゆきけむおもほえず 夢かうつつか寝てかさめてか
(貴方がいらしたのか。それとも私が伺ったのか。どちらともわかりません。夢だったのでしょうか、現実だったのでしょうか。寝ていたのでしょうか、それとも覚めていたのでしょうか。)
心待ちにしていた歌を受け取りましたが、男は「なにそれ…」とショックを受けこんな歌を返しました。
かきくらす心の闇にまどひにき 夢うつつとは今宵さだめよ
(真っ暗な心の闇に迷って、私にも分からなくなってしまいました。夢か現実かは、今宵わたしの所へ来て確かめてください。)
ところが、その夜(お偉いさんが男のもとへやって来て、一晩中宴会をしたので)会うことは叶わず
原文の「をとこも人知れず血の涙を流せど」は、男はめっちゃ口惜しかった、という事かと
それから夜明け近くになって、女性から上の句だけの歌が届きます。
かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
(徒歩で河を渡る人の衣の裾が濡れないくらいの、私と貴方の縁は、結ぶには至らない浅い御縁だったので…)
男はそれを手に取り、末の句を書き継いで、旅立った、というお話でした
またあふ坂の関はこえなむ
(また逢坂の関を越えて、お逢いしましょう。)
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それにしても、歩いて川を渡っても裾が濡れないって、その川浅いなそれぐらい「浅い縁」という表現は、相手にとって、これ以上ないぐらいわかりやすい…
でもこれは文学だと思って、美しい別れを楽しみます
ちなみに、斎王のお役目を終えるのは①天皇が次の天皇に位を譲った時や、
②天皇や斎王の身内が亡くなった時、または③斎王自身が病気にかかった時など。
中には50年務めた斎王もいらして、この制度は鎌倉時代まで続いたそうです