自分が体を壊していたときに、それを話さなかったことを
叱られて初めて気付くことがある。
自分の体のことを思ってくれている人がいると
知っただけで何か嬉しいものがこみ上げてくる。
自分は人を診る仕事をしているため、
紺屋の白袴とはよくいったもので、全くというほど
無頓着なのが、周囲には理解できないようだ。
つまり、自分のことを考えるときにはもう疲れてしまって
考えたくないという気持ちでいっぱいになってしまう。
likeがloveにかわり、Iがweになるときの喜びを
真に感じているのは今だけなのかもしれない。
部分的に日本人ではない(?)自分は、外国人にはどう映っているのだろう。
国籍不明というと、いくつかの候補を挙げられるが、
yesと答えられるものがないような気がする。
でも、何かを強く訴える感情は負ける気がしない(笑)
社会的な構成要因として家族と呼べる身内が姉だけになって以来、
生来、病弱だった姉のことが気になるようになった。
これまでは母と兄が私と姉との関係を遮っていたため
話をする機会がほとんどなかった。
姉はいつも原因のわからない得体の知れない病から、
痛みと闘っていた。
そんな姉の姿を見て、きっと彼女を愛する人たちの
身代わりになっているのではないかと思うようになった。
自分の無力さを嘆くと、諭すように話す姉。
楽をさせてあげたい気持ちがあっても、それも叶わない。
わたしにできることは、やさしい言葉をおくってあげることしかない。
(しかし、姉からはそれ以上の思いやりある言葉をもらうことになるのだが)
人生は、思い通りにいくものではない。
しかし、自分の想いを相手に届けることはいつでもできる。
どれくらいと考えてしまうと気が落ち込んでしまうけれど、
限りある生をやはり精一杯生きたいような気がしてきた。

人はなろうとした人物にしかなれない。
だからといって必ずしも良い条件に恵まれるわけではない。
だが、なろうという意志がなければその人物には決してなれないのだ。
前フランス大統領 シャルル・ド・ゴール
彼の言葉を思い出した。
Have a good night
kisses
LUKE