カナダモントリオール映画祭のニュースを見た。
吉永小百合さんが審査員特別グランプリの受賞の喜びをフランス語で短くスピーチしていたのを聞いて、
もう少し、しっかりとしたアドバイザーがいなかったのかと少し残念な気持ちになった。
あれでは棒読み。
言葉が死んでいるため折角用意されたスピーチに訴えてくるものが感じられなかった。
67歳とは思えない美貌を保たれながら、フランス語も努力された跡はよく伝わってくるのだけど、
これも演技だったのかなと思って白々しく感じて虚しくなってしまった。
発音も抑揚も間の取り方もすべて聞き苦しかった。
日本人は、どうしてもっと踏み込んだ努力をしないのだろう。
自分のイメージという自己完結型は自己満足でしかない。
美しさというのは、正しい努力によってのみもたらされる。
中途半端だと自覚できるのだったら、やめる潔さも必要だと思う。
客観性を失ったら、それはもはや美ではない。
堂々と自信ある自国語で話す方がどんなにかよかっただろうと思った瞬間だった。
阿部ちゃんも同じだった(笑)しかし、なんて下手くそな英語の発音なんだろう。
実際は、素の自分に戻ってかなり緊張していたのだと思う。
私の最も嫌いな職業に政治家と俳優がある。
多くの人を導き、夢を売る商売は、fake の世界の住人になる必要があるからだ。
私の患者さんにもいるけれど、もっとも扱いの難しい人たちだ。
中には心をひどく病んでいることすら、自覚していない人が多くいる。
標準でなくていい。しかし、表裏のオンオフをしっかりできるよう努めてもらいたい。
せめて、現実の世界の住人には現実の対応ができるようにしてもらいたい。
ひとは基本的にわがままでいい、しかし、見境をつけられなくなったら、それはもはやひとではなくなる。
治療が必要になる場合も多々ある。
辛口ですが、空気を支配する能力を持った彼らには、それ相応の責任があると思うからです。
誰もが真似できない特殊な技能ゆえの誇りと責任。
スターは大変な職業であることに違いはない。
