スピーチや原稿の宿題が山盛り状態。
夏休みの終わりに焦っていた頃を思い出す。
いくつになっても変わらない(汗)
しかし、どうして人は人に依存せずにはいられないのだろう。
仕事ではおよそできない無理難題を要求されることが多い。
わざわざ訪ねて来られるのは歓迎するけれど、
勝手な妄想には辟易しているのが正直な気持ち。
思い込みの強い人には、それを正すことから始まる。
人の言葉に過敏で、ネット上の他人の言葉を鵜呑みにしてしまう。
(ネット上の言葉はすべてが正しいとは言えない。そして辞典でもない)
私を訪ねて来る人は100%このタイプ。
そして依存心の強い人は、大抵よい結果を得られないと断言できる。
なぜなら自分で治そうとしないからだ。
意思がなければ、絶対に体は反応しない。
こころを静観する機会を一生に一度でいいから持ってもらいたい。
私の所へ来る前にこころの専門家へ行くべきなのに、
私がその代りをしている。
専門家には専門家のスキルがある。
以前は専門外であっても診ようと必死になって勉強もした。
しかし今は、異常にエスカレートした心の問題が眼前で噴出する。
とても私だけでは手に負えない人が増えてしまったように思う。
私に可能性を託してくれるのはわかるのだけど、
どうして私にすべてを一任できないのだろう?
疑念ある人はわざわざ訪ねて来てもらっても
私の逆鱗に触れるだけだけだ。
人としてのマナーがなければ、私は一切を拒否する。
これは間違いだろうか?
先天性のもの、原因のわからない疾患を除いて、
生活習慣から引き起こされる病は、ほとんどの場合、
性格に起因していると私は考えている。
その性格は変えられないものなのか?
否、私は変えられ得ると考えている。
それは、自分のこころを眺め見ることができればである。
客観性があれば、すべては方向性を持ち、収束することができる。
つまり、難題であっても解答に近づけるということ。
人生に答えはない。しかし、人々は必死でそれを求める。
答えでなくとも、答えらしきものを得られればそれでよいはず。
現生を地獄にするのも自分。
他人でもなく神でもない。
どちらかを選ぶとしたら、自ずと見えてくるはずです。

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