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Luke & Soleil Company

Never let the light of hope fade in your heart!

この時期になると周囲からの依頼事が増えてしまう。

年度末・新年度を控えてザワつくときは、何かと落ち着かなくなるのだと思う。

そんなこんなで忙しい時期を乗り切るためにFBからしばらく退席することにした。


ログインしなくても、コメントやメッセージの通知がメールで届くと、

なんとも後ろ髪をひかれる思いでいっぱいになってしまう。

しかし、ここは心を鬼にして・・・


どんなにプライベートを素のままに表現しても、

職業がバレてしまっている以上、

やはり私の一言は違った響きを持ってしまうようだ。


世界を賑わす事件や事故。

日本は治安が良すぎて、鈍感になりすぎだけれども、

明らかに誰もが不安を持ち、正しい情報を得たいのだということが

良く伝わってくる。


文化や習慣が異なっている以上、その土地へ赴き同じものを食べ、

同じことをしなければ絶対にわからないことが沢山ある。


誤解をしない最も大切なことは、近くまで歩み寄ること。

これがすべてだと思う。


脚色されたテレビの情報に振り回されないことがやはり大切。

信頼は一朝一夕に勝ち得るものではなく、時間とともに醸成されるもの。

私の稚拙な発言でも、待っていてくれる人がいると思うと、

アメーバ同様、より身近な、私がよい情報だと思うものをshareしたくなる。

今月末までにはFBに戻れるとよいのだけども・・・






chocolat!←フランス語の音を聞くために始めました。
神さま、私にお与えください

自分に変えられないものを受け入れる落ち着き(恩寵)を

変えられるものは変えていく勇気を

そして、二つのものを見分けるかしこさを





これはserenityの訳語より、平静の、平安の、静穏の祈りなどと訳される

米国の神学者、Reinhold Niebuhrの「ニーバーの祈り」と呼ばれるもの。

昨日、たまたま目にしたテレビプログラムのなかで私の尊敬する作家が

この言葉を唱えている場面に出くわした。

アルコール依存症克服のための自助グループ、「アルコホーリクス・アノニマス」で

唱和する彼の姿を見て、何かが体の中を走った。

彼も人間、そしてその人間を診る精神科医師であり、作家でもある。

私は、つい自分の至らないところを患者のせいにしてきたことが往々にしてあったのではないか、

という気持ちに苛まれてしまった。

つまり、彼の姿を見て自分の不甲斐なさを感じた瞬間、

新しい自分の生きる方向性が示唆されたような気がしてならなかった。

あと何年、外科医として生きられるのかという自分への問いかけは

医師として生きる上で切実な問題で、彼の姿を見てもう少し自分も頑張れるかもしれない

と思えるようになった。

そして、この「ニーバーの祈り」は、広く多くの人たちへ受け入れられやすい

祈りの形であって、日々の生活の中で、こころの根幹にあっても恥じないくらいの力を

持っている言葉だということに改めて気付かされた。


「アルコホーリクス・アノニマス」「ナルコティックス・アノニマス」「ギャンブラーズ・アノニマス」

このどれもがアルコールや薬物、ギャンブルの依存症に苦しむ人々の会であり、

その苦しみを持った者同士の自助組織である。

そんな集まりの最後に捧げる祈りの言葉がこのニーバーの祈り。

人は人によってのみにしか救われないという言葉のとおり、

これらの会で自信と勇気をもらって回復している人々が大勢いる。


人は誰しも、人生に停滞を生む瞬間が何度か訪れる。

そんなとき、私たちのこころはある種の依存症にかかっていると仮定したらどうだろう。

多くの人は、自分の境遇を自分だけの特別なものと思い込みやすい。

しかし、過去に数万人の人々を診てきた自分の言葉を使わせてもらえれば、

けして特別ではないと言いたい。

人のこころが停滞するときは、必ずと言ってよいほどに人や物に執着が生じている。

その執着が病的に変化したものが依存症と言えるのではないでだろうか。

私たちは、常に何かの依存を生じやすい局面に出会っていると考えたら、

このニーバーの静穏の祈りは誰にとっても必要でかつ、生きる道筋を照らしてくれるものだと

私は信じて疑わない。






 Serenity Prayer

英語原文

O GOD, GIVE US

SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,
COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,
AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM
THE OTHER

日本語訳(翻訳:大木英夫)

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。





Have a great Week !
LUKE


仕事が終わり、家に帰ってからメールチェックをすると、

後輩から久しぶりのメールが届いていた。

いま母親の介護と開業準備のために田舎に帰っています。

先生の生き方にインスパイアされます・・・また色々と相談させてください。


公私ともにがんじがらめの人生を送っていた彼。

なんとか心にけじめをつけられたみたいだ。

心配していたけれど、ようやく自分の人生を歩み始めた。


うちの外国人もお母さんの見舞いで病院通いをしているけれど、

なかなか自分の思うように勉強がはかどらなかったりで

ストレスを感じ始めてきているようだ。


誰も家族のためにやることに不平や不満を語らない。

なぜなら、それが義務だと思っているから。

しかし、時間が過ぎてみると、

その負担の大きさに唖然とすることが多いのも事実。


開業というと、その土地に自分を縛り付け、

かなりの自由を失う稼業になる。

もちろん一国一城の主になるのだから、そのメリットもない訳ではない。

しかし、私はどうしても性格的にそれが受け入れられなかった。


「痛いときには痛いと言うようにしなきゃダメだよ」

だんだんと感覚が麻痺してくるのでこの点だけは忘れないようにと

先の後輩には伝えた。





preciousからのメールには、私が子年からとった愛称として

ma petite souris (my little mouse) 私の小さなねずみちゃんと

書いたことが気に入ったのか、嬉しそうな返事が返ってきていた。


フランスでは親しい間柄になると色んな愛称で呼び合うようになるようだ。

そのときに単語の前にpetit(e)(プチ)が入ることに意味があるようで、

友達を卒業した恋人や夫婦ということになるらしい。

はじめのころは、英語でlittle(リトル)を頻発していたので、

何も知らない自分は、大人の男になんでlittleなのかと思っていたら、

petitを英訳して使っていたみたいだ。

petitは小さなという意味でも、もちろん使うのだけど、

ほとんどの場合、親しみを持った表現になるみたいだ。


私が、海が好きだったり、風呂に入ることがあるという理由から、

mon petit poisson (my little fish)と呼ばれたときは、

ummm... オレって魚なのか・・・?!

と複雑な心境になったのだけど、ネズミもよくよく考えてみたら、

やはりあのネズミだ!(笑)

(ネズミーランドというと怒る人がいるけれど・・・^^)

中には、ノミ(蚤)ちゃん、キャベツちゃんと呼ばれている人もいるようで、

それよりはまだましなのかも知れない^^;

文化が異なると、笑わずにいられない出来事が頻発するようになる。


Have a nice day
LUKE