私は精神論を述べることは、あまり好まない。
なぜなら、「自分は成功したのですよ」という前提のもとに
話しを進めなければならないからだ。
外国人がサラッと触れることには嫌味が無いのだけど、
日本人が言っているのを聞くと、どうも気持ちが悪くなる。
特に自分が言っている場合、、、
先日、学会で会った後輩のひとりは、もう長い付き合いなのだけど、
結婚をしたいといいながら、すでに十数年が経とうとしている。
(その間、私は結婚し、子どもが生まれ、その後離縁している・・・)
その会話の端々に、自分は○○だから・・・、自分は○○が先生のようにできないから・・・、
という言い訳がましいことを昔と変わらず並べていた。
これは結婚のことに限らず、彼の仕事に対する姿勢についても全く同様だった。
私は時間が経てば仕事への取組み方も改善するものだと信じて疑うことはなかった。
しかし、今回時間がそれを覆してしまった。
正直、自分のことを大切にしていない奴だと再認識した。
つまり、他人の出来事を評価をしても自分の殻に閉じこもったまま、
自分は○○と言って、出てこようとはしない。
でも結婚というものへの執着が異常なほどに強い。
結婚が人生のゴールではないはずなのに・・・すでに妄想の領域に入ってしまったかのようだ。
奇跡と呼ばれることは人生において何度もあることではない。
しかし、奇跡と称されることを起こしている当の本人は、
目の前にあることに精一杯で、けして退かず、前に踏み出している。
私も医師になってから奇跡と評価を受けたことを二度経験したことがある。
人々に賞賛されることを好まない人はいない。
しかし私に高揚感はなく、与えられたことを、わき目も振らず全うしただけだった。
人生には限りがあることを意識することはとても大切なことだと思う。
つねに全力とまではいかないにしても、
ひたむきにひとつのことを修めようと努めることは、
やはり人にとって最も価値ある大切なことではないだろうか。
将来、こうなろう、こうなりたいも大事だけれど、
目の前にあることに対し、無心になることはもっと大切なことだ。
雑音の多い中で生活しながら、いかに集中できる瞬間を持てるかが
その後の人の人生を決めているように思えてならない。
梅雨時に思いに耽るのもよいだろう。
でも、梅雨が明けたらすぐに動けるように準備を怠らないことは、
いうまでもなく、やはり大切なことだ。
「止まない雨は無い」
There is no rain that fails to cease.
「明けない夜は無い」
The morning sun always triumphs against the night.
