ヨガにまったく興味がなかった私。

 

 

何が楽しんだろうって思ってた。

 

ただストレッチみたいなのを

やってるだけじゃないかって。

 

習うほどのものかーって。

 

 

だったら身体を動かす

ダンスなんかが

面白いじゃんって思ってた。

 

 

 

そんな私がヨガを始めた。

 

なぜか。

 

 

それは

「ゆるめたかった」から。

 

 

身体も心も

ゆるめたかった。

ただ

ゆるめたかった。

 

 

 

ずっと力を入れて

生きてきた私。

 

こうしなきゃ

ああすべきって

ずっと頑張ってきた。

 

 

そんなガチガチに

固まった心と身体を

どうにかゆるめたくて

 

 

頭だけでは

どうにもならないと思い

 

身体からも

アプローチしていこうと

 

ヨガをやってみようって

思ったんだよね。

 

 

そう!

それこそ「タイミング!」。

 

 

 

しかし

その「ゆるめる」という感覚が

今でも正直よくわからない。

 

 

ゆるめたつもりでいても

ヨガのイントラさんに

「力ぬいて~」って

言われることもある。

 

 

でも

やり始めて1年が過ぎ

 

自分の中に

少しずつ感じ得たことがあってね。

 

 

 

ヨガの時間は、

私にとって

ジャッジしないでいられる時間。

 

 

具体的に言うとね

 

ヨガの時間には

必ず心を静めて

いわゆる

「瞑想」の時間があってね。

 

 

よく瞑想って

心を無にするっていうでしょ。

 

 

雑念を排除して

 

雑念がわいてきたら

自分の呼吸に

意識して~とか言われる。

 

 

でもね私は、

雑念ありあり、なんですよ~デレデレ

 

 

ってゆーか

雑念がわいてきてもOK!

 

 

無にならなきゃ、とか

呼吸に意識しなきゃ、なんてことは

 

 

一切、まったく、思わないウインク

 

 

この「まったく思わない」感覚が

私にとっては

なにをもジャッジしない

すべてにOKっていう感覚でね

とても心地が良い。

 

 

すると

身体をゆるめるとか

そういうことも

もうどーでもよくなる(笑)

 

 

こういう感覚が

自然体というか

 

すべてに

OKを出している

感覚なんだろうなーって思う。

 

 

 

だからなのか

自分の奥にしまっていた本音が

あふれてくるんだよね。

 

自分との対話ができる

そんなヨガの時間。

 

 

今では

瞑想の時だけじゃなくって

 

身体を動かしているときだって

動かしながら

自分との対話を愉しんでる。

 

 

こんな感覚を持てたことが

すごくうれしくて。

 

 

ヨガ的観点?から見ると

「今ここ」に

集中してないかもしれないが

 

そんなこったー

どう~でもいい~ニヤニヤ

 

 

 

うまくポーズを

とることよりも

 

身体との対話

心との対話ができる

ヨガの時間は

 

私にとっては

なくてはならない

時間になった。

 

 

今日は何話そうかなって

 

そう思いながら

ヨガに通う毎日です。