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見えなかったものが現れてくるINDIGOな時間

一昨日のブログ「身体は、単に肉体的なものにとどまらない 」で

私たちのからだが、いかに自然ではなくなっているか

OSHOの講話からご紹介しました。


私たちの抑圧されたエネルギーを解き放つ方法として

OSHOはアクティブ瞑想を挙げています。


アクティブ瞑想とは、目を閉じてじっと座る瞑想(私たちがイメージする瞑想)

とは違って、からだを動かし、声を出し、エネルギーを流れさせる瞑想法です。


実際に体験してみると、びっくりすると思います。


想像もしなかった感情がわき上がってくる驚き、喜び、感動、恐怖・・・

それがなんであっても、すべてを表現することの許された機会。

そして、表現しつくした後にやってくる静寂のスペース。

内なる光の香りが感じられる、それが瞑想のスペース。


アクティブ瞑想でおこることは、とても強烈です。

初めての方は、信頼できるグループで体験するのをおすすめします。


ちょうどタイミングよく、11月2日に私の友人達が

ワンデイの瞑想会を開催することになっています。


1DAY メディテーション with Nirvana&Tathina


1日中、いろいろな種類の瞑想を体験できます。

瞑想が初めての方も、美女2人がやさしくサポートしてくれます。


私は残念ながら、予定があって参加できないのですが

興味のある方はぜひおでかけくださいね。


きっと素晴らしい体験になると思います!


サイキックマッサージの創始者はサガプリヤという女性ですが、

彼女はこれを、"OSHOのワーク"と呼んでいます。


私もOSHOから、たくさんのことを学んでいる最中です。


このテーマでは、OSHOの講話から、特に心に残っているものを

少しずつご紹介していきたいと思います。


本日は、怒りを"なかったことに"したら身体には何がおこっているか?

理解するのをサポートするテキストです。


あなたの身体は、単に肉体的なものだけにとどまらない。

あなたの身体、筋肉の中、身体の構造の中には、

抑圧によって多くの異物が入り込んでいる。


怒りを抑圧すれば、毒が身体に入り込む。

毒は筋肉へ、血液へと入り込む。

何を抑圧しても、それは精神的な抑圧ばかりではなく、肉体的な抑圧でもある。


なぜなら、あなたは完全に分割されてはいないからだ。


あなたは身体と心ではなく、心身(ボディマインド)-つまり心身相関的だ。

あなたは、心と身体が一緒になったものだと言える。


だから、身体が行なったことはマインドに届き、マインドが行ったものは身体に届く。

身体とマインドは、同じ実体の両端だ。



たとえば、怒ると身体に何が起こるだろう?

怒ると、必ず特定の毒素が血液中に放出される。

その毒素がなければ、怒りに駆られることはない。

体内には、特定の分泌腺があり、それらはある種の化学物質を放出する。

さて、これは科学的なことであって、哲学などではない。

あなたの血液は毒される。


だから、怒ると普段は不可能なことができてしまう。

ーなぜなら狂っているからだ。

普段そんなことはできないのに、大きな岩を押し動かすことができる。

後になってみると、その岩を押し動かしたり投げたり持ち上げたりできたことは、

とても信じられない。正常に戻ったら、再び岩を持ち上げることはできない。

なぜなら、あなたは同じ状態にないからだ。


そのときは、特定の化学物質が血液中を巡っていた。

あなたは緊急事態にあり、あなたの全エネルギーは活動的になっていた。



動物は、怒るときは怒る。

動物は、怒りに関して道徳心や教訓など持ち合わせていない。

動物は純粋に怒り、その怒りは放出される。


あなたも動物と同じように怒る。

だkが、そのときそこには社会があり、道徳があり、エチケットがあり、

その他さまざまなことがある。


あなたは怒りを静めなければならない。

自分は怒っていないと見せなければならない。

あなたは微笑む必要があるー絵に描いたような微笑で!


あなたは微笑を作り出し、怒りを静める。

身体には何が起こるだろう?


身体は闘う用意ができていた

ー闘うかあるいは危険を回避するために逃げるか、

それに直面するか回避するか。

身体には、何らかの行動を起こす用意があった。


怒りとは、何かを行う準備に他ならない。

身体は、暴力的、攻撃的になろうとしていた。


もしあなたが暴力的、攻撃的になれるなら、

そのエネルギーは放出される。

だが、それはできないー都合がよろしkない。


そこで、あなたは怒りを静める。

すると、攻撃的になる準備ができていた筋肉群はどうなるだろう?


それらは麻痺してしまう。

怒りのエネルギーはそれらを攻撃的にするが、

あなたはそれらを攻撃的にならないよう引き戻している。


そこに葛藤が生じる。

あなたの筋肉の中、血液の中、細胞組織の中に葛藤が生じる。


それらは何かを表現したいが、あなたは表現させないように押さえ込み、

抑圧している。 すると身体は麻痺してしまう。

そして、あらゆる感情がこの麻痺を引き起こす。

それが毎日のように何年も続く。

するとあなたの身体は、いたるところで麻痺してしまう。

神経も同様に、すべて麻痺してしまう。


それらは流れていない、流体になっていない、生き生きしていない。

それらは死に、毒されてしまった。

そして、すっかり縺(もつ)れてしまった。

それらは自然ではない。



OSHOについて詳しくはOSHO.COMをご覧ください


KAYAM からだとこころの休憩所

http://kayam.in/



友人がサイキックマッサージを受けに来てくれました。

よく知っている人にサイキックマッサージをするのは

私にとってチャレンジでもあります。


というのは、"私が知っているその人の姿" にとらわれず

また、相手に対する個人的感情にも距離を置いて

セッションする必要があるからです。


それでもセッションが始まると、ごく自然に

いつもの、あのスペースに入ってゆくことができました。


数日後、彼女からこんな感想をいただきました。



サイキックマッサージを言葉で説明するのは難しいの、
と事前にお話があったのですが、本当にその通りでした。

育児疲れが取れずに、子供にイライラしてしまうこともあるし、
なんとかならないかな~と、興味もあったし気軽にサイキック
マッサージのセッションを受けてみました。


これまで受けていた「ホリスティックマッサージ」の気持ちよさと
また違う心地よさ。身体がリラックスして眠りにつくのがいつもの
私でしたが、今回は静かに覚醒しています。


マッサージが進むにつれて、内側がもっと静かに穏やかになって
いきました。呼吸も深く整っていくのを感じていました。
気持ちよくヨガに集中したり、瞑想しているときに近いかんじかもしれません。


シェアリングの時間に、

「家族にはもう充分献身的にがんばってきてる、
イライラしても、それは普通のごく日常の感情だから大丈夫。
疲れがとれたら、また自分の人生がはじまる、それはとてもワクワクする
ようなことよ」というメッセージをもらって、


心地よくなった身体と心がさらに
ピカピカきらきら取り戻したようになりました!大げさではなくて。


セッション後は、やたらと眠い日が続いていたので、なるべく眠るようにしました。
3日後くらいに眠気は収まって、心穏やかな状態が続いています。


子供のイヤイヤ&ぐずぐずが暴走したときも、なぜだかイライラしたり
することがなくなり、冷静に子供の気持ちを受け止めようとしている自分がいます。
疲れすぎて、仕事の意欲もなくなっていたけど、とても楽しく今後の計画を立ててもいます。

穏やかで心地よい、劇的な変化!
本当にありがとう。



サイキックマッサージは、受けて数日経ってから

いろんな変化があることも多いのですが、

彼女の感情の爆発も、内側で何かがおこったのかも知れません。


このセッションを終えて、私が感じたことは

イライラ(怒り)はけっして悪い感情ではないということ。

感情に良い悪いとラベルを貼らずに、

自分の中にある大切なエネルギーの一つとして捉えてみてください。


イライラは、どこから来ている?

身体のどのあたりにある?

それは動いている?重さはどのくらい?色は?

話せるとしたら、何て言っているのでしょう?


それがある時の自分はハッピーではないかも知れないけれど

捉え方を変えてみると、その感情と距離が生まれます。


距離が生まれることで、その感情を持っていない

くつろいだ自分にも気づくことができるのです。


身体を動かしてみます。その感じは変化しますか?

言葉に出してみたら、どうなるでしょう?


そんな風に、遊んでみることもできます。


そして、自分にとって嫌だなぁと思う感情がある時

"それをなかったことにしない"ことがとても大切だと思います。



KAYAM からだとこころの休憩所

http://kayam.in/




アルバイトをしているサロンに、ひとまわり以上も若い同僚がいます。


先日、彼女から教えてもらったことがあります。


施術が終わり、お客様を送り出すときに

「これからまた会社に戻られるんですか?お仕事がんばってくださいね」

とお声がけするのが聞こえてきたのです。


その言葉は、言葉としてよりも

エネルギーとして届いてきました。


私がもし、お客様だったら、すごく嬉しかったと思います。


なぜなら彼女はその言葉を、

マニュアルのようにではなく、習慣としてでもなく

”本当にそう思って” 口にしていたからです。



だからといって私も、同じ言葉を言おうとは思いません。


自分の中に、「がんばって」という言葉に対して

素直じゃない感情があるから。


以前の仕事(IT関係)でへとへとにつかれ限界まで疲れていたときの

「がんばって」という言葉は、これ以上を求められる重荷だったのです。


言われなくてもがんばっとるわい! という苛立ち

もうこれ以上がんばれないよー   という嘆き


そんなことを思い出してしまうので、

お仕事中に抜け出してサロンにいらっしゃる方に

その言葉をかけることに抵抗があるのです。


うつ病の人にも、「がんばって」と言わない方がよいとされていますね。



でも、同僚の「がんばって」を聞いた時、

大切なのは言葉そのものではないんだ、と理解したのです。


その言葉にどのような思いが込められているか、

それをエネルギーとして”感じてみたら”

言葉がなんであってもOKなのです。


私が以前、「がんばって」に苛立ちや嘆きを感じていた時は、

その言葉の裏にある、言ってくれた人の思いを

感じてみることなどなかった。

ただ、自分を苦しめる言葉として、反応していただけでした。


これが、頭で理解することと、ハートで受け取ることの違いです。


それでも

「がんばって」と言わない私に、ただYESといいます。

私が心から思う、違う言葉で、同じ意味の気持ちをお伝えしています。


KAYAM からだとこころの休憩所

http://kayam.in/



トイレットペーパーを使った後に、三角に折るというのはエチケット?マナー?


いままで私はその習慣が、あまり好きではありませんでした。


誰かの手がしっかりと触れたトイレットペーパーで、

デリケートゾーンを拭くと思うとちょっと・・・


みんな、「そういうものだ」って惰性でやってない?


随分前のことですが、レディメイドハセベ社長さんのブログ にも

「私の前に入った人が、便座に座りながら紙を折っている姿が想像できて嫌だ」

という記事を読んで、深くうなずいたものでした。

乙女座・A型女ならではの神経質な一面でしょうか。


ところが最近、受け取り方が変わりました。


次に使う人のための、思いやりの行為だと。


それを頭で理解しようとしても無理な話なのですが

なんとなく、エネルギーで感じるようになったと言ったら


うさんくさくてたまりませんが


本当のことなので仕方がありません。


少なくとも、駅のトイレのように、次に使う人のことなど

100%シカトのカオス状態を思い出してみると


カオス状態の中に留まっているペーパーより

デリケートゾーンも喜ぶってものです。


紙の区切り目がわからなくてイライラしなくて済むよう、

三角に折っておきましたよ、さぁ、どうぞお使いください


そんな思いやり、ありがたく受け取るようになりました。


そして今では私も、折ってます。

自分の家で。次に使う未来の自分のために。


自分が折るようになってから、その気持ちに気づいたのです。


あなたは、折ってますか?