ブレスセラピストのドゥワリのインタビュー
の続きです。
目から鱗が落ちたような言葉がありました。
ぜひ読んでみてください!
何か感じた方は、迷わずタントリック・ブリージング
へ。
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Q.ブレスは時代遅れだという人もいるようですが?
それを聞いて、友人が送ってくれた絵葉書のことを思い出したわ。
猫がカウチに横たわって、こう言ってるの「呼吸、呼吸、毎日同じことの繰り返し!」ってね。
もし今度ブレスは時代遅れだって言う人に出会ったら、
「いいわ、じゃあ呼吸するのをやめなさい」って言ってちょうだい。(笑い)
それはまさに私たちの社会の病をあらわしているわ。
誰かがブレスは時代遅れだと言うとき、
そのマインドは新しいものを消費することに興味があるということよ。
彼らはブレスをガイドにして内なる世界に入ることを通して
自分自身に結びつくことの現実(reality)に入って行こうとはしない。
ブレスを使って自分自身の中に入っていけば、退屈なんてものはありえません。
というのもそこにはさまざまな次元における自己発見があって、
本当にブレスにつながることを許すことで
自分自身を知るための秘密が明かされるからです。
それは決して古びたりはしません。
Q.あなたのテクニックとホロトロピック・ブリージングの違いは何ですか?
ご存知のように、すべてのテクニックは概念になります。
スタニスラフ・グロフのように…私は彼のことをとても高く評価していますが、
彼の道に従うなら…彼は評価を受けたがっている。
彼は主流の一部でありたがっている。彼は常にそれを求めています。
いかに彼が科学的な研究やほかのものを導入しようとしているのかを見ればわかります。
それに彼のトランスパーソナル心理学というのも、いまだマインドの中にとどまったものです。
ホロトロピック・ブリージングを見れば、パターンにしたがった呼吸をしていることがわかります。
少なくともほとんどの人たちはそうした使い方をしています。
私たちの呼吸の使い方は、パターンにしたがった呼吸に入るのではなく、
瞬間瞬間に変化していく呼吸の生命力を発見することです。
変化していく呼吸とともに、自分の中で変化していく次元へと入って行きます。
あなたは決して同じではありません。
次に呼吸したときにはもう違っているのです。
そしてニューエイジを見てみれば、それは新しいものを消費することにほかなりません。
それは本当の自分自身と直面することによって本質に入っていくことではありません。
それが入っていくのは天使やあらゆる種類のエネルギーの次元です。
ですが、こうしたことは自身の存在の真実を貫く前にただの概念になってしまいます。
私にとってはそこがOSHOが今世紀で最高の天才であり教師だと思うところです。
というのも彼はそこを何度も指摘しているからです。
彼はさまざまな矛盾することを語りながらも、常に一点に戻ってきます。
それは自分とは誰かを見つけることです。
誰かにあなたは何者かを教えてもらうのではなく、
メソッドによって自身の存在を貫き、それを体験とすることです。
そしてもうひとつは、一人あること(aloneness)です。
それはニューエイジの集団やエネルギーの集団など、集団の一部になることではありません。
それは本当にあなた自身の独自な一人あることに基づいているのです。
ですからそれはとても違ったアプローチなのです。
Q.日本人に特徴的な条件付けについて気づくことはありますか?
私はいつも中心となる制限はなんなのかを理解しようとします。
私が日本人について理解したことは…(間違っているかもしれませんが、)
全員の満足に寄与するために抑えることです。
日本文化では、社会全体の調和にもっとも価値が置かれています。
調和を保つためには、誰もが個人的なフィーリングを抑えなければなりません。
日本人はそれを極端なまでに洗練させました。
それを本質的な質だと思えば美しいのですが、
個人がどれほど自分自身を抑えなければならないのか、
そしてそれがが抑えることの目的とはかけ離れていることを見れば、
それは“抑圧”だとわかります。
Q.日本には「出る釘は打たれる」ということわざがあります。誰もが同じであろうとしています。
そうですね。
それはとても強力で、誰もがそれにとらわれているように思います。
そして私が問題だと感じたのは、そのように美しい価値は…
というのも社会はうまく機能しているようですし・・・
ものごとは本当に秩序だっていて…
私にとっては日本のトイレは信じられないものです。
電車のトイレでさえも完璧です!飛び散ったりしないし、角度や何もかもがすべて正しい!
けれど、すべてがそれほど正しいなら、それに逆らうのは難しいことです。
そしてそれに価値を置き、正しくあることに誇りを持っています。
ですから抑圧しているのと同時に抑圧されていることを誇らしく思っているのです。
というのもその結果はすばらしいものに思えるからです。
そこが私の理解では、日本人の条件付けでもっとも通り抜けるのが難しいところです。
誰もが抑圧されていながら、別のレベルでは抑圧されていることに誇りを持っている。
それは高い目標に寄与しているからです。
ですから、そこに入っていこうとするなら、
集合的に達成されているものがあるということも認めなければなりません。
日本人には欧米人とは違う働きかけをしなくてはなりません。
というのも、欧米人の特質はその個人性にあります。
日本人は、社会の中で誰にとっても正しくあることよりも高い価値を見いださなければなりません。
私にとってはそれは瞑想の質です。
というのも日本人はそれについては他のどこにも見出せないものを持っているからです。
本当に何かを持っています。
けれど、社会における達成というプライドから飛び出して、
瞑想と精神性へと向かう方法を見つけなければなりません。
私が感じるのは、西洋は精神性へと向かっていく途上で、個人という感覚を手放すことに葛藤します。
日本人はたやすく個人の感覚を手放すことができます。
日本の瞑想の質にアクセスしたとき、それはもっとも驚くべきものです。
グループでときどきこうしたことが起こります。
それは何かまったく超えたもの…他のどこでも経験したことがありません。
それは本当に美しいものです。
私の感じでは、まずそこへ行って、それからまた戻ってきて個を発達させるのがよいと思います。
ですから、それはまったく違ったやりかたなのです。
タントリック・ブリージングΦ第3弾Ω with ドゥワリ 12月11日&12日
~ 感情の解放とともに愛へ繋がるためのセクシャリティ~
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KAYAM からだとこころの休憩所
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