今日、兄から
もうヤバイかも。と。
こんなときはよい言葉を選ぶのが難しいんだけど、ヤバイって。
初めて覚悟してくださいと言われたのが、私が中学生の時。
約30年前になります。
その頃は狭心症で入院していて、バルーン治療をしました。
次に狭心症の発作がおこるとダメだと思います。
そんな話でした。
中学生の私には辛すぎて。
それから何度か検査入院して、
約十年後にくも膜下出血で倒れました。
手術はしましたが意識が戻らない状態でひと月
奇跡的に意識が戻ったものの心不全などで不安定な日々でした。
またまた奇跡的に回復し退院。
自分の身の回りのことを出来るまで回復。
約二年後腎不全の為透析開始。
この頃、私は結婚はできないだろうなと、思っていました。
彼も大事だけど親も大事。
彼(旦那)には母がくも膜下出血になったときに別れてほしいと伝えてありました。
別れる理由にはならない。と会えるときに会い、お付き合いは続けていました。
透析も落ち着き、母も手助けなく生活できるようになった頃に待っていてくれた彼(旦那)と結婚。
すごく喜んでくれました。
それから五年後くらいに歩けなくなるくらいに具合が悪くなり、透析していた病院に聞くも、大丈夫との返事しかもらえないまま数ヵ月。
医療機関に勤めていた従姉妹が透析していた病院での血液検査の値を見てビックリ。
ひどい貧血でした。
その病院を無視し大きな病院に連れていくも、それが原因とは言えないけど、心臓が肥大して、今日、明日止まっても不思議じゃありません。
手術にも耐えれないので覚悟してください。
その時点で、兄と相談し痛い思いをしてきた母に辛い治療をするのをやめようと言うことに。
延命治療をしない決断をしました。
それからは良くなったり悪くなったり。
認知症も良くなったり悪くなったり。
血圧は低すぎの時も覚悟してください。
その度に泣き、
だんだん母の顔を見るのも辛くなり病院のことは兄に任せっきりになりました。
そして今日、ご飯を食べるのも少なくなってきてるから血液に直接栄養をいれると、連絡がありました。
管を入れて流動食にすると寝たきりになるからしないよ。と、兄が決めたようです。
私もそれでいいと返事しました。
また涙です。
仕事も手につかなかったので、息子を連れて母の元へ。
ちょうどお昼ごはんがきていたので、孫が見てるから頑張って食べよう。と作り笑顔で。
なんと、おにぎり間食しました。
恐るべし孫の力。
こんなに頑張った母にはかないません。
負けです。
母は
手術後も痛いとか泣き言を言ったことがありません。
負けです。
逃げてた私は弱虫です。
また明日、母の顔を見に行きたいと思ってます。
あっ、父も施設にいるんだけど行ってないな。
逃げちゃダメだね。
アルツハイマーで優しかった父が変わってしまったのがショックでした。
悲しかった。
逃げちゃダメだね。