【日本人の心を解く】河合隼雄著(元が英語で書かれているので、河合俊雄訳)、の読書会6回目。
古事記や日本書紀にて、日本の神々の中で唯一受け入れられずに海に流された「蛭子(ひるこ)」についての話が始まりました。
音読と対話を繰り返しつつも、このあたりはなかなか理解すること自体が難しく感じます。
が、それでもわかってきたことを書いてみますと、
西洋では「太陽神」といえば男神が多い。
日本では、「太陽神」は天照大神。女神です。
そして、太陽神でありながら世界の中心というわけではなく、中心は「空(くう)」に保たれてきた。
まったく正反対です。
現実生活では実際どうだったのだろう。
私は歴史に詳しくないのだけれど、江戸時代は将軍が中心に据えられつつも、実権は周囲の部下たちが握っていたようだ。
参勤交代の仕組み自体は中心統合的。
その頃から、中空構造でありながら数百年のスパンで徐々に中心統合の価値観が入ってきつつ、昭和から平成にかけて急激に中心統合の価値観を採用してきたのではなかろうか。
ちょっと不謹慎な言い方になるかもしれないけれど、私が小学生の頃、つまり1970年代、父は天皇陛下のことを家では“お天ちゃん”と親しみを込めるかのように呼んでいた。
崇め奉るという空気はそこにはなく、「大切なものにパワーを置かない」という中空構造を感じさせる。
パワーは置かないけれど大切に思っているという、この不思議な感覚は説明が難しいが、
河合さんが「中空構造日本の真相」を書かれた1980年代には、まだこういった空気だったことは実感します。
同じ1980年代半ばにエラノス会議で発表された講義内容が訳された「日本人の心を解く」の中で、
河合さんはヒルコを男性の太陽の性質の象徴として書いておられます。
「男性の太陽神は、最強の者として中心に立ち、いかなる種類の均衡をもたらす活動をもはねつける。」
中空構造で、相反する価値観のものも共存できるのが日本の性質とはいえ、そうした男性太陽神の性質は受け入れるわけにはいかなかった。
ゆえに、ヒルコは葦船に乗せられて海に流されるのです。
古事記や日本書紀では、ヒルコは受け入れられなかった。
だが、現代の私たちの課題は、イマジネーションを使って男性の太陽ヒルコの居場所を見つけることだとおっしゃる。
それが、中心を空に保つために必要なことだと。
それはすごく相反することです。
それを実現するためには、男性の太陽ヒルコが中心に立つこともあるし、けれどいつまでも中心におかずにスムーズに移動してもらうようファシリテートする必要がある。
中心統合構造と中空均衡構造、その二つ…究極の相反する構造…を共存させるためのファシリテーターが必要だということじゃなかろうか。
ヒルコが中心にいる必要があるときは、中心統合構造で。
頃合いを見て、パッと中空均衡構造にスイッチを切り替える。
相反する価値観の者同士が共存できるような場の設定を整える。
これを自在に切り替えられる、人材育成。
ある意味、構造にとらわれずに場を動かせるという、すごい話です。
中空均衡構造を理解することは、平和に役立つ!という根拠はないけれどはっきりしたイメージがあって、
ここまできましたが、段々に雲が晴れてきたような気がします。
ともに学ぶ仲間に感謝です。