色彩を持たない漫画つくると、表現と空想のシーソーゲーム
拒絶を恐れるな。作品がすぐに歓迎されなくても気にしないことだ。絵を描く目的は展覧会に出すことだけではない。絵を描くのは自分自身のためであって審査員のためではない。
「傑作を生み出せーきみ自身と同じくらいの。」
「傑作を生み出せーきみ自身と同じくらいの。」
- 『アート・スピリット』
/ロバート・ヘンライ著

¥2,700
Amazon.co.jp
という言葉に押され、2冊目の本を出版しました。
今回は脚本を書いて漫画家に依頼する初の試みだったのですが、これが想像以上に苦労しました。
例えば
「コンビニで肉まんを買う」
というシーンでも店員は女性か男性か、店は混んでいるか空いているか、時間帯は朝か夜か、などの情景をイラストの素材として伝えなければいけません。
これが小説なら
---------------------------
終夜ネオンに包まれながら絶え間なく続く人の波と冷たく透明な空気が織りなす喧騒のなかで、満たされたいと願うのは自分の胃袋かそれとも人との温もりか。おでんの香りが鼻腔を刺激するサークルKのアツアツ肉まん。
---------------------------
と、(やや北方謙三を意識したハードボイルド調ではありますが)情景はある程度読み手側の想像力に委ねることができます。
『君の瞳はちょっぴりアンニュイで琥珀色の雫がたまらなく眩しくて温かい。』
と目ヤニの付いた腫れぼったい瞳もこういったよくわからない言い回しだと何だか褒められているような気分になるところが想像力の奥深さです。
ところが漫画は想像力ではなく視覚力です。小説のように「想像力に委ねる」ことができません。
先日、病院でインフルエンザの予防接種を受けたのですがこれを読み手の想像力に委ねながら表現すると
---------------------------
たおやかに明けてゆく2月の朝、1月に見せた切なく透明な寒空は優しさと強さをともなった春への道筋へと続いてゆく。
待合室は行き交う人で熱気を帯び、憂いを抱く気がかりな人たちは一様に会ったことすらない他人のスキャンダルを伝えるTVキャスターのコメントに耳を傾ける。
しかし誰も本気では聞いていない。なぜなら自分たちの憂いは他人のスキャンダル以上に雪解けに差し込む温かな陽光になり得ないことを知っているから。
ピッピッピと規則正しく刻んでゆくテルモ(電子体温計)のメロディーは不規則な鼓動を抱えた人たちへのセレナーデか。点滴をひいてゆく聖者のトロイメライが静かに廊下を流れてゆく。
(Time,Time, Time, )
(see what's become of me...)
新患のナースコールはCメジャーコードから始まるSimon&Garfunkelの冬の散歩道だ。
(うーん、クドいっ!)
---------------------------
と子犬が足にまとわりつくイタリア映画のように語ってみたところで漫画家にとって何ひとつ材料にはなりえません。心のなかの情景は読み手側がそれぞれ抱くものであり、それはまさに表現と空想のシーソーゲーム(世界じゅのだれもが!)なのです。
本題、かなり逸れました。
改めて出版の告知です。Amazonでも購入できますが電子書籍なら無料でこちらから読めます▼
無料e-book全136頁▼
「集客力を鍛える大手に負けない展示場改革」
Amazonからも購入できます▼
- 『集客力を鍛える大手に負けない展示場改革(新書)』/小田泰平(著)
- ¥950
- Amazon.co.jp
最後に。
“星をつかむと言われてるそうですよ”
と友人からもらった、ホワイトスターが刻まれるモンブラン。このペンであとがきを校了できたことを感謝。
この場を借りて、ありがとう。

