最後に「9」になる生き方を
晴れ時々パコダ。
ヤンゴン最終日、通訳のMYO MINNさんにタクシーではなく自分の足で街を歩きたいと伝えた。
固い砂利なのか水たまりが多い砂地なのか足の裏からその土地が伝わってくる。雑踏のなかで人の呼気にふれ、どんなものを食しているのか想像する。
感触や匂いはタクシーに乗っていたらわからない。
五感で知るのが一番早い。
裏通りを歩きながらMYO MINNさんに面白い話を聞いた。
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ミャンマー人は「9」をとても大切にする。
寺院や暦も9を中心に作られる。
「9」は不思議な数字。
9の倍数をかけてみて。
どのかけた数字でも、足せば9になる。
9×2 = 18 *(1+8=9)
9×3 = 27 *(2+7=9)
9×4 = 36 *(3+6=9)
9×5 = 45 *(4+5=9)
9×6 = 54 *(5+4=9)
だから幸運の数字として大切にする。
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なるほど。初めて知った。
街にはアウンサンスーチーのTシャツが売られ、駅では線路を横ぎって電車に飛び乗る人たち。
壮大な寺院やホテルの隣には貧富の差を無視できない暮らしがある。
宗教がその受け皿となる側面とたくましく生きる人のエネルギーがザラッと交じりあい均衡を保っている。そのカオスを優しく包み込むパコダ。
日本から届く電子版ニュースには
「就活 親の心得」
「中学校 朝練禁止」
「学生人気企業 より安定傾向」
の文字が踊る。
路地裏で物乞いをする少女、アスファルトの上をハイハイする赤ちゃんが重なる。
どちらが幸せで、そうではないという一元論で語ることはできない。
しかし、全力で生ききっているかどうか、どんな状況でも人生を主体的に生きぬいているか、ということを自分の出自から遡って今を振り返らせる。自分の人生もザラッと交じりあう均衡に融けあいパコダに包まれるような感覚を覚える。
即今・当処・自己(今、ここで自分が生ききることを大切にする)
安定や不安定、どちらかを求めて生まれてきたわけじゃない。全力で駆けぬけて最後に「9」になる生き方を、と問いかけられたような旅だった。



